『表現の不自由展・その後』はなぜ中止になったのか 表現の自由の“向こう側”にあるものとは|久田将義

メディアアクティビスト・ジャーナリストの津田大介さんが芸術監督を務める「あいちトリエンナーレ2019」の「表現の不自由展・その後」が1000件以上の抗議を受け、開始三日で中止になりました。

津田さんは旧知の人であり、このイベントが行われることは以前に何となく聞いていたので応援したいと思っていました。なので、開始三日で中止は残念に思います。

何が問題になったかと言うと二点になると思います。

・慰安婦少女像(「平和の少女像」)の展示
・昭和天皇をモチーフとした動画

これらが抗議された主な原因のようです。
本来、『表現の不自由展・その後』の会場に行き、全体を見て、評論するのがフェアですが残念ながら中止になった為、ここでは「表現の自由」とその後の対応について考察してみたいと思います。

「表現の自由」は憲法21条で保障・明記されています。表現の自由の中には言論の自由(批判・批評の自由)も含まれています。

そこであえて極論を言います。表現の自由とは「何を表現しても良い」のです。それがどんなに不快なものだとしても。また、プロパガンダ的なものでも、です。

つまり、表現の自由とは実は残酷な面もあるというのが事実と捉えています。日本においては例えば戦前の言論弾圧での悲劇が起きたように(小林多喜二事件など)、「表現の自由」を先人は選択し、僕らもこの「自由」を享受しています。

が、しかし。

表現の自由の裏側には暴力が存在していた歴史が、厳密に存在します。

・作家深沢七郎の小説「風流夢譚」で昭和天皇を侮辱したとして、版元の中央公論社を右翼が襲った。関係のない家政婦の方がお亡くなりに。
・「噂の真相」編集部に天皇家を不敬だとして右翼が抗議、傷害事件に発展。

等々、他は割愛しますが、これが「現実」です。暴力は恐怖です。表現の自由と位相は異なりますが、僕も「実話ナックルズ」編集長や「月刊選択」次長時代に様々な人から、様々な恫喝や脅迫を受けました。その時の感情は恐怖以外の何者でもありませんでした。PTSDになっているかも知れません。

こうした経験から学んだのは、もしかしたら言論の自由という先人が身体を張って産み出した「表現の自由」の向こう側には暴力という恐怖の装置が存在するかも知れない、という想像力が必要なのではないか、という事です。

しかし暴力や脅迫を受けたら法治国家である日本では、警察がしっかり取り締まらなければなりません。

今回は京都アニメーションの事件を彷彿されるような「ガソリンをまく」という脅迫も含まれていたと愛知県知事大村氏が公言しています。もしこの脅迫が事実なら、卑劣極まれない、許してはいけません。

まず、警察がこの脅迫犯を逮捕し、取り締まる事が先決です。最近、評判の悪い警察ですが、名誉挽回すべく愛知県警には厳罰に処して頂きたいと望みます。

少し話が離れますが、僕はある写真家を徹底的に批判した事があります。到底受け入れられるものではありませんでした。怒りさえ覚えました、と本サイトTABLOで書いたはずです。が、「その写真家の表現の自由は守らなければなりません」とも記したと思います。これは本心です。

不快な表現物はたくさんあります。それが河村名古屋市長が言う「反日プロパガンダ」であったとしても。それを言えばハリウッド映画にも邦画でも「プロパガンダではないか」という作品は見つかります。

河村氏に関して言えば、公人である河村氏は憲法を遵守すべき立場にあります。「反日プロパガンダである」という批判は河村氏の言論の自由です。が、「展示を中止しろ」(主旨)とまで言うのは、憲法の精神から逸脱しています。政治家がこれを言ってはいけません。

繰り返しますが「反日プロパガンダだ」という「批判」は良いのです。表現物に対しては批評もあれば痛烈な批判があってしかるべきです。

言うのであれば、「この展示会は反日プロパガンダだと個人的に思っている。が、表現の自由のもと展示は続けるべきである。そして何より脅迫した容疑者を早くとらえるのが先決である」でした。

この事態が許されるなら「脅し得」になります。展示が停止されたという事は、河村市長の思惑通りになった訳です。すなわち、卑劣な脅迫犯が願った通りになりました。

表現の自由の向こう側に暴力は確かに存在します、残念ながら。政治家であるのなら、それをいかにして防ぐかに注力すべきです。(文◎久田将義)

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