右肩痛で1度は野球を断念 4年間の会社員生活
2016、2017年と日本ハムに在籍し、翌18年からレンジャーズでプレーしていたクリス・マーティン投手が7月30日、ブレーブスに移籍した。ブレーブスの地元アトランタの「アトランタ・ジャーナル・コンスティテューション」紙(AJC)がマーティンを特集。「クリス・マーティンがどのように『lowe’s(ロウズ)』での仕事からブレーブスのブルペンに辿り着いたか」という見出しで、33歳右腕の波乱万丈な野球人生に焦点を当てた。
AJC紙は「ブレーブス入団に至るまで、マーティンよりも珍しくて厳しい道を歩んだ選手はほとんどいないといえる」と右腕を評した。
マーティンは地元テキサス州にあるアーリントン高卒業後の2004年にタイガースから18巡目でドラフト指名され、マクレナン・コミュニティ大1年時の翌05年にはロッキーズから21巡目指名されたが、いずれも拒否。すると、翌06年に右肩の関節唇を損傷してしまう。手術したものの完治しなかったため、一度は野球を諦めて働くことを選択した。「ロウズ」とは米国の住宅リフォーム・生活家電チェーン。アーリントンで4年間、ロウズでフォークリフトを運転したり、テキサス・アプライアンス(家電ストア)で冷蔵庫を運んだりした。米貨物運送大手「UPS」で荷物をトラックに運搬する業務に就いたこともあるという。
職場でのキャッチボールから復活ロード歩む
それから4年後の2010年。職場でキャッチボールをしたところ、痛みを感じず、また野球がプレーできると考えるようになったという。「大学で一緒にプレーした友人がメジャーリーグでデビューしていた。彼らを見るのは辛かったけど、応援もしていた。もう一度野球をプレーしたかった。まだ24歳で比較的若かったし、挑戦しようと決めたんだ」とAJC紙の取材に答えている。
テキサス州にある独立リーグ「グランドプレーリー・エアホッグス」でプレーしていた友人に連絡を取り、トライアウトが開催されることを知って参加。元メジャーリーガーでロッテにも在籍経験があるピート・インカビリア監督が、95マイルを記録したマーティンに注目したという。「彼(インカビリア監督)は今まで僕が何をしていたのか聞いてきたんだ。刑務所に入っていたのかと聞かれたよ。彼は『仕事が欲しいなら、ここにあるよ』と言ってくれた」。
当初、右肩の痛みは残っていたものの徐々に改善。インカビリア氏の口添えもあり、マーティンは2011年3月にレッドソックスとマイナー契約を締結。13年にロッキーズに移籍すると、翌14年4月に27歳でついにメジャーデビューを果たした。
大きかった日本ハムでの2年間「心を落ち着かせることができた」
15年をヤンキースで過ごすと、次の行き先は日本のプロ野球、北海道日本ハムファイターズだった。「少し苦戦していた時に心を落ち着かせることができた。日本に行って一番大きかったことは、多分それだと思う」とAJC紙の取材に当時を振り返る。2年間で計92試合に登板して2勝2敗、22セーブ、48ホールド、防御率1.12の活躍。日本球界で飛躍を遂げたマーティンは17年オフにレンジャーズと2年契約を結んだ。
18年はレンジャーズで46試合に登板し、待望のメジャー初勝利も挙げた。「ジェットコースターのような年だったが、大きな自信につながった。今年もそれを続けられていると思う」と語っている。
メジャー復帰2年目の今季はレンジャーズで38試合に登板し、0勝2敗4セーブ、防御率3.08。そして、7月30日にブレーブスへの移籍が発表された。
「(ここまでの人生を)振り返った時、『クレイジー』と思うだろうね。でも今は楽しむことに集中している。毎日プレーできること、特に強豪チームでプレーできることに感謝している」と語った右腕。ナ・リーグ東地区で首位を走るチームのために、右腕を振り続けるつもりだ。(Full-Count編集部)