ロ・メディア、トップで74年前の原爆投下「速報」 異例の報道

By 太田清

米軍機が撮影した、広島に投下された原爆のきのこ雲=1945年8月6日

 広島が6日、被爆から74年の「原爆の日」を迎えたのに合わせ、ロシアのニュースサイト「ガゼータ・ルー」は、1945年8月6日の原爆投下時の出来事を時系列でなぞらえる特集記事を掲載した。同国のニュースサイトは一般に、プーチン大統領会見や選挙など、大きなニュースがある場合、こうした形で速報を掲載、情報をいち早く伝えるが、歴史的な事件、しかも外国の出来事でこうした特集を組むのは異例。原爆投下に対するロシア国民の関心の高さを示したものと言えそうだ。 

 ガゼータ・ルーは1999年に発足、ニュース部門としてはトップ5に入るアクセスを集める人気サイト。メドベージェフ首相が大統領職(プーチン氏は首相)にあった際、ロシアの改革の必要性を論じた論文「ロシア、進め」を発表したことでも知られる。 

 特集は「初の核攻撃、米国はどのように原爆を投下したか、オンライン」との見出しで、最初の記事は「74年前、米国は史上初の原爆を投下。被害に遭ったのは広島だった。ガゼータ・ルーは世界を変えたこの出来事のうち、最も興味深いものを再現する。広島市民がどのような恐怖を味わったか理解してもらうため、記事のタイムラインは日本時間を使う」と特集を紹介。 

 原爆リトルボーイを搭載したB29爆撃機「エノラ・ゲイ」がマリアナ諸島テニアン島の飛行場を離陸、エノラ・ゲイの到着前に、気象観測機が広島などの天候や視界を観測したこと、日本では空襲警報が発令されたことなども伝えた。 

 また、エノラ・ゲイのポール・ティベッツ機長が「いつもと同じ気分だった。ただ、たばこを何本もふかしていた」と後に語ったことなども紹介。運命の午前8時15分、原爆が投下され、爆風を避けるためエノラ・ゲイが急旋回したことや、投下目標は当初、市中心の相生橋上空だったが、やや離れた島病院付近に落ちたことなども伝えた。

 広島市で被爆したイエズス会のドイツ人神父ヨハネス・ジーメスさんの話も明らかにした。 「飛行機に続いてパラシュートを見た。突然閃光がして、しばらくして目を開けると体が火で包まれていた」とする被爆者証言も記した。

 ガゼータ・ルーの特集ページのURL

https://www.gazeta.ru/science/2019/08/05_a_12559351.shtml

 特集ではリトルボーイや被爆後の広島の市街地、相生橋、きのこ雲、被爆者の様子などの写真もふんだんに使い、原爆投下と被爆の様子を伝えた。 

 ロシアでは旧ソ連時代から、冷戦における米国との対立を背景に、原爆投下を「人間性に対する犯罪」として反米のための啓発・教育に活用するキャンペーンが行われ、「ヒロシマ、ナガサキ」に対する国民の関心もわれわれが思う以上に強い。 (共同通信=太田清)

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