
暑い時こそ、涼しげな面持ちでありたい。
とはいえ、眉をひそめてしまうほどの酷暑。
この酷暑を楽しむ術はないものか?
私は「暑さに負けじ」と冷やし甘酒でひと息。
この冷やし甘酒というのが案外イケる。
実はこどもの頃から苦手だった甘酒。
愛飲するようになったきっかけは、数年前に軽い肺炎を患った時に自然とカラダが欲したからだ。
「冬は熱燗、夏は冷」。糀(こうじ)から作るノンアルコールの甘酒は、酒をやめた私にとっては日本酒のようなものだ。
最近、東京再発見に目覚めた私。
神田明神へお参りに行き、入り口付近のお店「天野屋」へ。
何の情報もなくのらのらと入って、甘酒や納豆、江戸味噌など買う。
「天野屋」の創業は、江戸時代の弘化3年(1846年)。
創業当時から、地下の天然の土室(むろ)で育てた糀で甘酒や味噌などが作られているという。
つまり、貴重な江戸の味を楽しめるというわけだ。
夏の季語にもなっているという甘酒。
江戸の頃から夏バテ防止飲料だったのは知らなかった。

というわけで、江戸の味を求めて神田の街へ繰り出す。
神田には老舗の味の名店が多い。
一昨年、「升本 虎ノ門」探訪をきっかけに「居酒屋友の会」を結成し、それから年に何回か季節のうまいものを通じてのらのらと名居酒屋探訪している私としては、あの店は外せない。
「東京で最も古い居酒屋」との誉れ高き「みますや」へ。
昨年夏から酒とタバコの一切をやめた私だが、酒場は好き。
特に、日本の古い居酒屋のレトロな縄のれんをくぐるのはちょいと楽しい。
うろちょろと「みますや」を探していると、「その昔、神田には多くの映画館があった」と、かつて集英社勤務だった編集者からうかがったことを思い出した。
学生時代、偶然通りかかった「東洋キネマ」の看板文字を見つけ足が止まったこと。
その外観の建築はちょっと変わっていて、丸い窓があったりアーチ型の屋根だったりしていたように記憶している。
当時すでに閉館していたとはいえ、あれが映画館だったというのだから、ちょっと驚く。
「みますや」の近くには「南明座」という名画座もあったらしい。
そんなことを教えてくれたその方も、とうに鬼籍に入られた。
神田といえば、亡き父に無理くり連れて行かれた「いもや」の記憶も、よみがえる。
制服姿の私が、まだサラリーマンだった父と並んで食べた、あの何とも言えぬ沈黙の時間。
「いもや」のあのサックリした衣の天ぷらと辛口のたれが染み込んだご飯。
いつもお腹を空かせていた私は、その一粒まで残さずぺろりと平らげた。
「旨かったな」とつぶやく父の言葉に、ちょっとイラッとしたあの頃の私。
神田には、父との良い思い出はない。雑誌『GORO』を出版していた小学館も神田にある。
父は私の裸のグラビアを載せた小学館を嫌っていた。私はいつも編集部の人たちと美味しいものを食べたりした良い思い出しかないのだが。
あれこれ思い出しながら「みますや」に到着。
創業明治38年。日露戦争終結の時代。関東大震災を経て、現在の建物は昭和3年からの建物だそうだ。
戦災を逃れたという大変貴重な建築にちょっと見惚れてしまう。
縄のれん。小庇下に灯る赤提灯。銅板壁の看板建築。腰壁の石張りは左官職人の腕か。
私はその古い店構えに思わず顔がほころび、のら猫のごとく尻尾を立てて「にゃーお」と縄のれんをくぐると、奥にある座敷へ上がりこんだ。

夕方6時半過ぎ。すでに広い店内は大勢のお客さんでいっぱいだった。
座敷にも、どやどやとスーツ姿の会社員たちが押し寄せてくる。
手前には若いOLさんの団体。私たちの周りもあっという間に宴会席と化した。
早速、生ビールと烏龍茶で乾杯。
肉豆腐、牛煮込、コハダ、ヌタ、さくらさしみ(赤身)などなど、おすすめをオーダー。
運ばれてきたそれぞれの旨いこと!
肉豆腐は、肉汁が染み込んだ木綿豆腐。ぷるぷるして大きい。
牛煮込は牛皿のようなもの。皿いっぱいに乗ってやってきた。
「依子さんといえばコハダでしょう」と、すかさず頼んでくれる愉快なトモダチ。その愛ある言葉とコハダの旨さに「白鷹、1合、ぬる燗でちょうだい」と、つい口走りたくなるほど。

絶品だったのは、さくらの刺身。
馬肉の刺身だが、赤身が特におすすめ。
これに「谺(こだま)」という群馬の酒がまた合いそうだった。
私の隣で黙々と杯を重ねるトモダチの上半身が一瞬エビのようにのけぞった。
桜肉の赤身と谺を口中に含んだ彼の口元のニヤリから、その旨さはすぐに察することができた。
ああ、いいなあ。
酒をやめてからというもの、私は人が飲んでいる酒の味を記憶の引き出しから出し、それがどんなに素晴らしい味かを想像することができる。記憶というものは大変ありがたいものだ。
さらに私は、みますやの縄のれんの横で赤く灯った提灯に「どぜう」の文字を見逃さなかった。
「どぜう、丸でいきましょう」
「じゃあ、柳川もいきましょうよ」
なんだか、都々逸の小粋な掛け合いみたいな、阿吽の呼吸。
私はあたりを見渡した。
すると、目の前に座っていた若いOLさんの尻の位置が、素足の足の裏の間に巨大な「すあま」のようにずんぐりと鎮座している。
そのしどけなさが居酒屋の小上がりの畳に似合うのだ。しかもブラウスがふわっとした袖のパフスリーブで、フレアスカートから伸びる生足と大きな尻という構図が実に良い塩梅。
奥席の会社員の男性たちは、誰一人として乱れずに酒宴を楽しんでいる。
とにかく、よく飲んで食べて話し込んでいる。その様子が黒澤明監督の『まあだだよ』みたいにも見えてくる。
そうだ。
この座敷と、小上がりから見える三和土(たたき)の大テーブルを囲む人々と、左右の小上がりをワンカットで撮影するには、どのようなカメラの動線ならば可能だろうかと考えてみたりする。
ちょいと豆監督の気分にもなれる味わい深い居酒屋の店内。
そうこうしていると「どぜう」がやってきた。
あつあつの柳川鍋と、どぜうの「丸」。
夏にどぜう(泥鰌)を食すのも暑気払いである。
どぜうも夏の季語であるらしく、一番暑いときに食べるものらしい。

私はどぜうが苦手だった。しかし、ある時人生の老師に「駒形どぜう」を食べに連れて行ってもらってから克服した。
老師曰く。「どぜうというものには骨がある。その骨をよくよく噛む。噛みながら嫌なことを噛み砕いて飲み込んでしまうのです。夏に頭に血をのぼらせるような怒りを溜めているのはよろしくない。だから、どぜうを噛めば噛むほど、体にも頭にも、そして心にも良いのである」
この説は本当に面白いと思った。
真偽はともかく、夏のどぜうをよく噛むその行為に、女の情念がこもっているようで何だか面白いと思ったのだ。
浴衣姿の私がどぜうをよく噛んでいるときは、そういう理由だと思ってもらってもいい。
若い女が、汗をかきながらどぜうをよくよく噛み砕いている表情に、精神浄化のようなものが感じられるのも面白いではないか。

楽しい酒宴はあっという間にお開き。
お腹もいっぱい、締めのカレーライス(神田という土地柄なのか?)はまた次回のお楽しみとなった。
「みますや」は、懐かしい東京の味が堪能できる大衆的な居酒屋だが、みっともない酔客の姿を見かけないのも嬉しかった。
まあ、もっとも自分たちの中には、甘エビの頭の骨が口中深くに突き刺さり七転八倒していた酔客がいた。
その様子を、先の素足の足裏に挟まれ鎮座したすあまのようなお尻がなんとも愛らしいOLさんがあきれ顔で覗いていたけれど。
老舗居酒屋、神田「みますや」。
いろんな意味で夏を堪能した「居酒屋友の会」。
まさに、居酒屋礼賛にふさわしい名店でのひとときであった。
(女優・洞口依子)