富山生まれのジネンジョ守りたい 品種開発に携わった浅木さん

種イモから伸びたつるや葉が青々と茂る「とやま泉寿」の生育状況を確かめる浅木さん(左)と野田さん=富山市田中町

■種イモわずか増殖栽培

 富山生まれのジネンジョを後世に残したい-。元富山市職員の浅木清文さん(68)=富山市田中町=は今春から、品種登録されている県内産ジネンジョ「とやま泉寿(せんじゅ)」の種イモを増やそうと、本格的な栽培を始めている。泉寿は市農業センター勤務時代に品種開発に携わった“我が子”のようなもの。今は生産する農家がなくなり、浅木さんが育てた種イモがわずかに残るのみになっていた。 (報道センター・石川雅浩)

 明治大農学部を卒業した浅木さんは、市農業センターで通算16年勤務した。1989年に、県内の野生種の中から優れた個体を発見。ここから約8年かけて品種開発に取り組み、03年にようやく農林水産省から品種登録を受けた。

 泉寿はきめが細かく、強い粘りが特長。06年ごろには市内で約4トンが生産されていたが、農家の高齢化などで年々収穫量が減り、3年ほど前には生産者がいなくなったという。

 ジネンジョは一つの種イモからイモを一つしか収穫できない。収穫したイモを五つほどに切り分けて次のシーズンの種イモとして使うため、一気に増やすのは難しい。

 浅木さんは12年に市職員を退職した後も、趣味として自宅で泉寿を栽培していた。2年前に、自宅のもの以外の種イモがもう残っていない可能性があることを知った。「消えてしまった品種は復活しない。自分たちが生み出した富山のジネンジョは何としても残したい」と決めた。

 周囲に決意を伝えると、仕事仲間の野田一博さん(65)=同市永久町=や、野田さんと親しい同市萩浦地区自治振興会のメンバーが共感。今年3月に浅木さんの種イモ15個を三つに分け、それぞれで植えた。つるが順調に畝から支柱へ伸びている。

 収穫は12月の予定で、それまで土中のイモの成長を確かめることはできない。「増殖は時間のかかる作業で、毎年少しずつ種イモを増やしていくしかない。12月に大きく育ったイモと会えるのを楽しみにしたい」。浅木さんが青々と生い茂るつるを見ながら語った。

© 株式会社北日本新聞社