雷電生産の工廠 台湾少年工の悲劇 史実基に創作劇上演 大和

ハンマーを使って航空機製造に従事した台湾少年工を演じる場面の稽古

 神奈川県大和市内の愛好者らからなる市民劇団「演劇やまと塾」が、同市に隣接する高座海軍工廠(しょう)(座間市)で太平洋戦争末期に働き、苦労して生き抜いた台湾少年工を取り上げた創作劇「あの夏の日~元台湾少年工の里帰り」を9月1日に上演する。「地元で起きた悲惨な史実を忘れず、平和への願いを共有したい」との思いを込め、稽古に励んでいる。

 「逃げろ、逃げろ。伏せろ、伏せろ。急げ。森へ行け。急げ」-。爆音、炸裂音、そして悲鳴が上がる。劇団員の稽古は今、本番に向けて熱を帯びている。

 1945年7月30日。台湾少年工6人は大和市内の寄宿舎に帰る途中、米軍艦載機の機銃掃射を浴びるなどして死亡した。終戦の2週間前。約8400人の台湾少年工らが戦闘機「雷電」の生産を担った同工廠最大の悲劇だった。

 創作劇は、帰寮を認めた上司の日本人技術者が戦後、謝罪の気持ちから慰霊碑を現場近くの寺に建立し、帰国した元台湾少年工との交流につながった史実を基にした。

 劇団員の水野昂子さん(81)が「平和の尊さをもう一度考えたい」と今年6月に脚本を書き上げた。戦後74年を迎え、架空の日台関係者のひ孫も登場させ、反戦への思いを引き継ぐ次世代の役割の大切さを訴えている。

 演劇やまと塾は2006年に発足し、メンバーは中学生から80代までの17人。定期的に公演を続け、地元にちなんだ創作劇にも意欲的に取り組んできた。

 「昨年10月に開催された台湾少年工来日75周年行事が契機になった」と話すのは、代表の上原慶子さん(69)。「会員が高齢化して『第二の故郷』への来日活動もこれで最後になるとの報道があった。一方で地元の歴史でありながら、台湾少年工のことを知らない大和市民も増えており、本年度の公演テーマにした」と語る。

 脚本づくりには、台湾少年工との親交に尽力してきた「高座日台交流の会」会長で、市内在住の石川公弘さん(85)が協力。石川さんの著書も参考にされたという。

 石川さんは「75周年歓迎式典の実行委員長を務めて立派な記念誌も作成した。しかし、若い世代はこうした記念誌をあまり読んではくれないだろう。創作劇で取り上げてもえらえることはありがたい」と伝承手法の広がりに期待を寄せている。

 公演は9月1日、午後0時半と午後4時半の2回で市保健福祉センター(同市鶴間1丁目)で。料金は全席自由で、大人前売り千円(当日1200円)、小中高校生以下500円(同500円)。問い合わせは演劇やまと塾事務所090(9347)7199。

 ◆台湾少年工 厚木飛行場(大和、綾瀬市)に隣接する座間市東原周辺に、1943年に開設された高座海軍工廠で労働力不足を補うための募集に志願して来日した約8400人の台湾の少年たち。大規模な寄宿舎が大和市上草柳にあり、全国の航空機製造工場にも派遣された。厳しい作業環境の中で働いた少年たちの平均年齢は14、15歳。帰国後、同窓組織を結成して日本との交流を続けているが、元少年工は90歳を超え、亡くなった人も多い。

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