被爆惨状伝える三代のリレー 「ひろしま」デジタル化

「戦争を二度と繰り返さないため、核の恐ろしさを学び続けなければいけない」と語る開さん =東京都八王子市

 原爆投下後の広島の惨状を伝える映画「ひろしま」。投下からわずか8年後に製作された作品は、被爆者を含む市民ら約8万8千人が出演、原爆の実相を克明に再現した。かつてない規模の「反戦映画」は、だが当時、「反米的」との理由から自主上映に追い込まれた。完成から66年。映画プロデューサー小林開さん(46)は今、デジタル化された「ひろしま」を再上映するため、全国を飛び回る。監督補佐を務めた祖父と、全国での上映に奔走した父の遺志を胸に。

 モノクロ映画「ひろしま」は被爆した少年少女の手記「原爆の子」を原作に、1953年に製作された。地元出身の女優・故月丘夢路さんが主演し、戦時中に実際に着用していた服装や防毒マスク、がれきなども使われた。45年8月6日の惨状だけでなく、原爆症に苦しむ市民や被爆者への差別など核兵器が変えた日常も丁寧に描いた。

 55年のベルリン国際映画祭で長編映画賞を受賞。だが、国内で広く知られることはなかった。配給する予定だった大手映画会社が、原爆孤児が死者の頭蓋骨を掘り出し、米兵に売る場面など一部のシーンを削除するよう要求。製作側が反発し、自主上映を余儀なくされた。自らが出演した完成品を目にすることができなかった市民もおり、いつしか「幻の映画」と呼ばれるようになった。

 開さんが初めて鑑賞したのは藤沢市内で暮らした中学生の時。原爆投下後を再現した生々しい映像が、10代の心に強く焼き付いた。

 関川秀雄監督を補佐したのは開さんの祖父・大平さん。父・一平さんは大平さんの死後、全国で上映するために奔走した。広島で鑑賞した被爆者の女性に「この映画を世界中に広めてください」と声を掛けられたのがきっかけだった。

 その一平さんも2015年、心筋梗塞で急死。開さんが活動を引き継いだ。当初は「父の生前の予定をこなさなきゃ、くらいの思いだった」。だがその背中を押したのはやはり、被爆者の言葉だった。

 上映するたび、「この映画を広めて」と励ます被爆者たち。わざわざ駆け寄ってくる人もいた。「多くの人に大切にされている作品を伝え続けなければ」。映画を後世に残すため、一平さんの願いでもあったフィルムのデジタル化に取り組んだ。海外から資金提供を受け、3カ月かけて17年に完成。一平さんが映画を見た大学生に訳してもらった英語の字幕も載せた。

 国内では広島を皮切りに全国で上映され、世界10カ国にも配信されている。愛知県の学生は「広島で何があったのか伝わった。戦争は二度としてはいけない」と語り、海外のカップルは英語字幕版を真剣な表情で見つめた。

 映画「ひろしま」が持つ力。開さんは「8万8千人の市民の存在」と説き、続ける。「演技を超越した思いが画面からあふれている。そのメッセージは、今に通じる普遍的なもの」

 被爆者が願う「核なき世界」はいまだ実現していない。それどころか、国際社会では逆行する動きまで出始めている。開さんは警鐘を鳴らす。「あと20年もすれば、被爆者はいなくなってしまう。これまで出会った被爆者は誰もが皆、『二度と戦争をしてはいけない』と訴えた。体験していない僕らはその意味を、学び続けなければいけない」

 この作品はそのためにあると信じている。「映画は変わらず残り続ける。世界で広く上映、発信し続けることで、核の恐ろしさをもっと真剣に考えるきっかけにしたい」

 映画「ひろしま」は、横浜シネマリン(横浜市中区)で16日まで、川喜多映画記念館(鎌倉市)で15、17の両日に上映する(ただし、15日は既に定員に達した)。

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