「ラストエンペラー」乗せた船長の日記も 横浜・日本郵船歴史博物館で企画展

天津から脱出した溥儀を乗せた淡路丸船長の日記や写真を示す田中さん=日本郵船歴史博物館

 「満州事変」勃発直後の1931年11月、清朝最後の皇帝溥儀(ふぎ)を乗せて中国・天津からの脱出を図った貨客船「淡路丸」船長の日記を読み解いた企画展が、日本郵船歴史博物館(横浜市中区)で開かれている。時代の大きな転換点に立ち会った船長の視点から、「ラストエンペラー」や側近との交流を資料約50点で紹介している。

 「淡路丸」は戦前、横浜と牛荘(ニューチャン)(中国・遼寧省)を結んだ貨客船。当時は日本郵船の近海部門が分離独立して設立された近海郵船が運航していた。同船の渡邊順二船長(1892~1971年)が記した日記は31、32年の2冊にわたるもので、このほど遺族が同館に寄贈した。

 日記によると、溥儀(06~67年)は31年11月10日に天津の日本租界から脱出し、翌11日に淡路丸に乗船した。渡邊船長に話があったのは脱出前日の9日で、溥儀を擁立して満州国を建国する思惑を持つ旧日本軍によって周到に計画が進んだことがうかがえる。

 溥儀一行は13日朝に牛荘の満鉄埠頭(ふとう)に無事に到着した。12日の日記には「航海平穏。宣統廃帝(溥儀のこと)等気分よき有様」と記し、この際に撮影したとされる集合写真も展示。脱出に随行した溥儀の側近で高名な書家でもあった鄭(てい)孝胥(こうしょ)が渡邊船長に贈った書も掲げている。

 担当する田中裕子学芸員は「日記から船長の仕事ぶりや、重大な局面に立ち会った人の歴史を知ってほしい」と話している。

 9月29日まで、休館日は月曜日。入館料は一般400円、中高生・65歳以上250円、小学生以下無料。問い合わせは、同館電話045(211)1923。

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