「24時間テレビ42」一つの言葉が変えた恩師と教え子の人生。「明日は味方」を胸に徳島のサッカーを引っ張る

現在、日本テレビ系で放送中の「24時間テレビ42『愛は地球を救う』 人と人~ともに新たな時代へ~」(8月24日午後6:30~25日午後8:54)。メインパーソナリティーに嵐、チャリティーパーソナリティーに浅田真央を迎え、番組初となる東京・両国国技館からさまざまな企画を生放送。昨日24日には、松本潤が宮城・東松島市で披露した「東日本大震災から8年 天まで響け!復興の和太鼓」やフィギュアスケートの羽生結弦選手がアーティストの松任谷由実やピアニスト・清塚信也と共演することで話題となった「羽生結弦と松任谷由実 豪華コラボ 被災地・北海道に 春よ、来い」、相葉雅紀が主演を務めたドラマスペシャル「絆のペダル」など、感動の場面が次々と届けられた。

本日午後3時30分頃には「高校サッカーロッカールーム 恩師の言葉」を放送。今から13年前の2006年、全国高校サッカー選手権大会で、徳島県代表の鳴門高校はPK戦の末敗退した。その際、PKキッカーという重役を担うもミスをしてしまった選手に、名将・香留和雄監督がかけた言葉に迫る。また、その後、がんを患い失意のどん底にいた香留監督を支えたものが明かされた。

06年、徳島県代表の鳴門高校は山形県代表の黒羽高校と1回戦で激突。最後まで諦めない姿勢で劣勢を跳ね返してきた鳴門高校は、劇的ゴールの末2-2でPK戦に突入する。両チーム8人目まで全員が成功する長期戦。外せば負けの状況の中、プレッシャーのかかる場面で黒羽高校の9人目が成功し、鳴門高校の9人目として1年生の石川雅博選手がPKを外してしまう。

「3年生の最後の大会を終わらせてしまった」とロッカールームで涙する石川選手に、名将がかけた「負けることは恥じゃない。恥なんは負けて立たんこと。明日は味方だ。誠実に生きてたらみんな味方してくれる」という言葉。その言葉を胸に、黙々と練習を重ね、2年目を迎えた石川選手ら鳴門高校サッカー部は徳島県大会決勝へと進出するが、接戦の末、奇しくもPK戦にもつれ込む。石川選手は見事2人目でPKを成功させるが、チームは敗退。最後となる3年目も、徳島県大会の決勝で0-4というスコアで敗退してしまった。

ロッカールームで茫然自失の石川選手に香留監督は「胸を張ってください。出し惜しみはしてないだろ? 生きてる限り努力せい。まだ人生は続く」という言葉をかける。監督からの高校最後の言葉に、またしても自身を奮い立たせた石川選手は、高校卒業後、Jリーグの徳島ヴォルティスや、シンガポールなどで活躍。しかし、24歳の時に石川選手は戦力外通告を受ける。そんな時にも頭をよぎったのは恩師からの言葉。「全力でやってダメなら納得できる。後悔はしたくない、つかみ取りたい」。そう語る石川選手は、トライアウトに向けて黙々とトレーニングを開始する。

そんな時、今度は香留監督を悲劇が襲った。それは悪性リンパ腫。血液のがんで「明日は味方」…そう語ってきた監督自身が生きることを諦めかけてしまう。「なんで俺が、なんで今」。失意のどん底にまで落ちてしまった監督に差した一筋の光が、教え子たちの試合だった。徳島県大会準決勝、徳島市立戦を闘う鳴門高校は、試合終了間際まで0-1のビハインドを背負っていた。その時、鳴門高校イレブンの胸にあった思い、それは「香留監督を全国に連れて行く」のみ。

残り時間1分。正真正銘のラストワンプレーで、鳴門高校は執念の同点ゴールを決める。結果的に鳴門高校はPK戦で敗退してしまうが、最後の1分1秒まで諦めなかった教え子たちを見て、「自分は何をやっているんだ」、そう感じた香留監督。「俺にも明日が味方してくれる」、自身が教え子たちにかけた言葉を、逆に教え子たちから思い知らされることとなり、生きることへの執念を見せ始める。

同時に、石川選手も「明日は味方」という言葉を胸に、トライアウトに挑戦。現在29歳の石川選手は社会人リーグの徳島FCで活躍している。その傍らには、香留監督が総監督としてチームを指揮する姿が。監督もまた「明日は味方」と病に打ち勝ち、同じフィールドへと戻ってきたのだ。

たった一つの言葉が人生を変えることがある。「監督の言葉がなければとっくにサッカーをやめていたと」語る石川選手と、「俺に明日はない」と一度は絶望しながら、“生徒たちの頑張る力”を見て病に打ち勝った香留監督。「明日は味方」を胸に、2人のサッカー人はこの先も徳島のサッカーを引っ張っていく。

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