誰もがはまる「承認欲求の呪縛」から逃れるには?

アルバイト店員の幼稚な"目立とう精神"によるバイトテロと、エリート官僚の"忖度と隠ぺい"による公文書改ざん。一見、全く質の違う出来事のように見えて、結局は両者とも「認められたい」という気持ちのこじれから起きている――。

大企業やスポーツ界で頻発するパワハラや不祥事、学校のいじめ、家庭での虐待、引きこもり、過労死などの社会問題も同じ。さらには有力スポーツ選手の突然のスランプまで。

これらはすべて人間の抱えるやっかいな感情、承認欲求の負の側面の表れではないか。そう考える、組織と承認欲求に関する研究者で『「承認欲求」の呪縛』(新潮新書)の著者、同志社大学・政策学部の太田肇教授にお話をうかがいました。


引きこもりとエリートは同じ病理を抱えている

――承認欲求とは、人に「認められたい」という気持ちであり、自尊心や自己効力感に関わる感情のことです。承認欲求は組織や集団の中で人を突き動かす最も強い動機であると同時に、多くの社会問題を引き起こしているという、太田さんの説には非常に説得力を感じました。たとえば、引きこもりと過労死に関する指摘です。

太田肇教授(以下、同):はい。働けない引きこもりと働きすぎる過労死は、一見、正反対の事象のように見えます。しかし、引きこもりは、実は、人一倍、社会からの逸脱を恐れている人がなりやすい。

つまり、社会に反抗しているというより、逆に社会に認められない限り、自分はダメだと強くさいなまれるあまり、怖くて社会に出られなくなっている。

一方で、過労死に追い込まれる人も、社会や組織、上司の期待に応えることで認められたい。あるいは、彼らに認められなければ、自分の人生はダメになると強く思い込んでいる。だから、休めない。

つまり、引きこもりの人も過労死する人も、表れ方が逆なだけで「認められたい」「認められなければならない」という、承認欲求に強く囚われてしまっている。

いじめも同じ問題構造を抱えていると思います。しばしば、加害者は集団の中で認められたいと強く思っています。そこで、誰かを排除することで相対的に自分の価値を上げようといじめに走る。一方、いじめにあって自尊心を傷つけられた被害者も、せめて家族の中では、これまで得た「明るい子」「強い兄」などの評価を失いたくない。自分の存在価値をこれ以上下げたくない。認められたままでいたい。

そのため、「助けを求めるくらいなら、いじめられていたほうがまだマシ」と考えてしまい、家族にも相談できないまま、問題が悪化してしまう。

そして、我慢の限界を越えたとき、最悪の場合、被害者は自殺してしまう。ここでも、認められたい、認められねばという気持ちが、より悲惨な結果を招いてしまっています。

――つまり、それが「承認欲求の呪縛」というわけですね。

そうです。ほかには、バイトテロを犯すアルバイト店員と上司を忖度して公文書改ざんまでするエリート官僚もそうです。単なる自己顕示欲による見せびらかしも、犯罪を犯してまで組織における保身に走るのも、根本にあるのは同じ「認められたい」という承認欲求なのです。

エリートと引きこもりと言えば、今年6月、農林水産省の元事務次官という超エリートが引きこもりの息子を殺した事件がありました。おそらく、被害者・加害者ともに社会からの逸脱を強く恐れていたのではないか。両者の強い承認欲求が、最悪の形でぶつかり、起きてしまった事件のように思えます。

大企業の信じられないような不祥事やパワハラ、およそ人間として考えられない子供へのひどい虐待なども、承認欲求の負の側面の表れとして説明できる部分が多くあると考えます。

承認欲求は最強。多次元で終わりがないから怖い

――ほかに、具体的に承認欲求に関わることで「これもそうかも」と思う事例は?

最近であれば、オリンピックの金メダリスト、ザギトワさんの無免許運転などもそうではないかなと。「あの若さであれほどの成功をおさめ、認められている人がなぜそんなバカなことを?」と思った人は少なくないでしょう。私が思うに、フィギュアとは別の部分で何か認められたい、埋めたいものがあったのではないか。「スケートだけじゃない私」といったような。あくまで推測ですが。

もう少し大きな話になると、トランプ大統領の北朝鮮に対する一連の行動にも、承認欲求のカゲが見てとれるように感じます。トランプ大統領の普段の言動や行動からすれば、すぐに北朝鮮にもっと武力や厳しい制裁をチラつかせてもおかしくないように見えます。でも、しない。なぜか?

「安倍総理にノーベル賞に推薦してもらった」という彼のツイートが話題になったことがありますよね。思うに、彼は外交や経済どうこうより、単純に本当にノーベル平和賞が欲しいのではないでしょうか。

お金も、最高権力も、若くてきれいな奥さんも獲得した。でも、まだ足りない。得れば得るほど、もっと欲しくなる。承認欲求の怖さはそこなんです。終わりがない。

思いやり行為ですら、承認欲求と無縁ではありません。承認欲求は多次元です。「仕事で成功して満たされていたら、もういいんじゃないの?」と思うかもしれませんが、そうではない。高級官僚や社会的地位の高い人が、セクハラしたりするのは、その典型でしょう。仕事だけでなく男性としても認められたい。仕事は、力ずくでやれば認められます。でも、異性には力ずくでは認められません。当たり前です。

ところが、そんな誰でもわかるようなことでも、たとえそれが犯罪になるとしても、承認欲求を満たすためなら、人間は何だってやる。それほどまでに承認欲求は強力で、人間に行動を起こさせる究極の力を持っています。

――スポーツ選手の例が出ましたが、世界選手権では常勝なのにオリンピックでは勝てなかったり、有力な選手が大舞台を前に急にスランプに陥ったり、つぶれたり。これも承認欲求の呪縛が強く関係していると。なぜでしょう?

人は認められるほど、その名誉を失うのが怖くなるからです。試合のプレッシャーや不安は、慣れたら克服できるというものではありません。むしろ、最初は不安もプレッシャーもなかったのに、「勝って当然」と認められるほど、負けるプレッシャーは強くなります。

一度得た承認を失う恐怖、消極的な承認欲求から、自ら無意識にスランプや怪我を引き起こすループに入り込んでしまうということが、スポーツ選手にはよく起こります。 特に怪我であれば、良い成績が残せなくても責められません。大事な試合の前に必ず故障するなども、実は、自分の精神を守る正当な自己防衛だったりします。

――実際、気持ちのどこかに不安を抱えていると、身体も固くなったりで怪我もしやすい。有力スポーツ選手のこの「負けたらまずい」という苦しみは、まさに、承認欲求の終わりのなさ、呪縛の蟻地獄のような特徴をよく表していますね。一方で、「何でも承認欲求に結びつけすぎなのでは?」という意見もあります。

わかります。しかし、まさに何でもと言いたくなるほど、本当にあらゆるものにつながっているのが承認欲求なのです。私自身、驚くほどです。

承認欲求は、出世したいとか名誉が欲しいという欲望だったり、自分の才能をアピールしたりする自己顕示欲だったり、あるいは集団の中で孤立したくない(他と同じことで認めてもらう)といった一見、控えめで自己顕示欲とは真逆に見える感情としてあらわれ、人間を突き動かします。

そうかと思えば、その「認められたい」という欲求が直接満たされない場合、他人に対する羨望や嫉妬、意地や面子、いじめといった屈折した形としてもあらわれ、強力に人間を動かす。

哲学者で政治学者のT ・ホッブスも、人間の持つ誇りが争い(戦争)の一因であると既に喝破していましたし、承認欲求は私たちの日常生活から国家間の関係まで左右していると言って決して過言ではないでしょう。(後編に続く)

太田肇(おおた・はじめ)1954(昭和29)年、兵庫県生まれ。同志社大学政策学部教授。神戸大学大学院経営学研究科修了。京都大学経済学博士。専門は個人を尊重する組織の研究。『承認欲求の呪縛』『個人尊重の組織論』『承認欲求』『がんばると迷惑な人』『個人を幸福にしない日本の組織』など著作多数。

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