INF廃棄条約失効の危機、核軍縮への好機に 「信頼欠けた世界」で新たな枠組み構築を CTBT機構準備委事務局長

インタビューに答えるCTBT機構準備委員会のラッシーナ・ゼルボ事務局長

 世界の核軍縮体制はいま、崩壊の危機に瀕しているとも言われる。冷戦後の軍縮枠組みの支柱とされてきた米国とロシアの中距離核戦力(INF)廃棄条約が8月2日に失効。相互不信を深める核大国が軍拡競争へと舵を切る一方で、核兵器保有国と非保有国の溝が埋まる気配はない。この大きな試練に、国際社会はどう向き合っていけばいいのか。同じく軍縮の重要条約となってきた包括的核実験禁止条約(CTBT)の早期発効に備え、核実験の検証態勢の構築を率いてきたCTBT機構準備委員会のラッシーナ・ゼルボ事務局長が単独インタビューに応じ、展望を語った。(共同通信=新冨哲男)

 ▽事実上の核保有国にも留意を

 ―INF廃棄条約は東西冷戦下の1987年、当時のレーガン米大統領とゴルバチョフ・ソ連共産党書記長が調印した。米国と旧ソ連の地上配備の中・短距離ミサイル(射程500~5500キロ)を全廃すると定め、特定分野の核戦力の全廃を盛り込んだ史上初の条約となった。主眼としたのは、二大核大国間の軍拡競争回避だ。70~80年代、ソ連は欧州で中距離核ミサイルを配備し、米国が対抗するなど情勢が緊迫していた。条約は緊張緩和をもたらし、89年の冷戦終結にもつながった。それから約30年。米ロの確執や中国の台頭で国際秩序が様変わりする中、条約は効力を失った。

 まず言えるのは、私たちが今、(国家間の)信頼が欠けた世界に生きているということだ。INF廃棄条約の失効は、完全な(核軍縮の)枠組みが存在しないことを改めて示した。だが、(各国の外交努力次第で)全ての枠組みは完成可能なものだということも思い起こさなければならない。ともすれば既存の物事でも壊れやすい国際情勢下、私たちは前に進んでいくために強く結束する必要がある。その現実を突きつけようと、警鐘が鳴らされたのだと考えている。

 ―INF廃棄条約を巡り、トランプ米政権とロシアのプーチン政権は非難合戦を繰り広げた。米国は、ロシアの新型地上発射型巡航ミサイルの射程が条約で禁じられた範囲に入ると指摘した。条約違反を否定するロシアは、米国が欧州に配備したミサイル防衛システムが攻撃に転用できるとして、米国こそが条約違反だと反論した。条約失効からまもなく、米国は射程500キロ以上のミサイル発射実験に踏み切り、ロシアも同様のミサイル開発再開を表明。米国は条約に縛られず核戦力増強を続ける中国も交えた新たな軍備管理の枠組み構築に意欲を示すが、中国は否定的で、軍拡競争沈静化の糸口は見えない。

 INF廃棄条約とは、核大国である米ロの2国間条約だった。米ロ関係が平穏であれば、世界は安定に向かうと言われている。重要な条約なのは疑いない。しかしながら、冷戦時代から(米ロ以外の国々の間でも)軍拡競争は起きていた。米国、ロシア、英国、フランス、中国の五大核保有国に加え、(イスラエル、インド、パキスタンといった)事実上の核保有国の存在が現在黙認されていることも、忘れるべきではない。(INF廃棄条約に代わる)新たな軍縮体制を構築する過程では、その枠内に事実上の核保有国を引き入れるチャンスも訪れる。私は条約失効を悲観的に捉えてはいない。より優れた核軍縮の枠組みを作り出すための好機だと捉えている。

 ▽核実験探知、信頼性向上目指す

 ―CTBTは、核爆発を伴うあらゆる核実験を禁じる。96年に国連総会で採択され、既に184カ国が署名、168カ国が批准した。日本も97年に批准している。発効には、条約交渉の時点で原子炉を持っていた44カ国の批准が必要だが、うち米国や中国、イラン、イスラエル、エジプトが未批准で、北朝鮮、インド、パキスタンは署名もしていないため、発効に至っていない。ただ、主要な核保有国は条約を尊重する形で、90年代から自主的に核実験モラトリアム(一時停止)を堅持してきた。CTBTは未発効ながらも、核不拡散体制を支える柱の一つとなってきた。

 かつて、多くの関係者が苦労を重ねながら、CTBTへの署名を各国に働き掛けてきた。それは今、CTBTの発効を目指す私たちがくぐり抜けているのと同じ苦難だ。184カ国もの国々が署名しているという状況は、ほぼ世界共通と言っても過言ではない。批准した168カ国の中には、五大核保有国のうち(英国、フランス、ロシアの)3カ国が含まれている。米国と中国に対しても、私たちは批准を検討するよう求めている。世界中で広く受け入れられているCTBTは、核保有国と非核保有国の橋渡しだけでなく、核保有国同士の橋渡しができる可能性も秘めている。

 ―「核なき世界」を掲げ、CTBT批准も目指したオバマ前米政権から一転、トランプ政権はCTBTに後ろ向きだ。2018年2月に公表した核戦略指針「核体制の見直し(NPR)」では、CTBT批准を支持しない方針を表明した。米国内の批准反対派はかねて、他国がCTBTの監視網をかいくぐり秘密裏に核実験する懸念があるのではないかと問題視してきた。

 INF廃棄条約のような2国間条約が信頼を失うのであれば、私たちは多国間の合意へと目を向けざるを得ないだろう。(多国間条約である)CTBTは厳しい国際情勢下、まだ発効に至っていないが、手続きを前に進めていく好機になる。(CTBT機構準備委員会が構築・運営し、放射性物質や地震波で核実験を探知する)国際監視制度(IMS)は現在、92%の段階まで整備が進んだ。当初の想定よりも、はるかに優れた探知能力を発揮している。世界各地の観測施設から集められたデータは、北朝鮮による核実験を捕捉する根拠にもなってきた。私たちが検証態勢を築く過程で培ってきた科学的知見には、米ロも信頼を寄せている。これらの信頼性をさらに高めていくことが、CTBT発効に向けた総意を得る土台になるだろう。

国連本部で開かれた核実験の禁止を訴える国連総会の会合。講演しているのはCTBT機構準備委員会のゼルボ事務局長=2018年9月6日、ニューヨーク(共同)

 ▽イラン情勢緩和へ核実験観測施設の再稼働を

 ―核拡散を巡る懸念は、米ロ対立だけではない。中東では、イランの核開発を巡り、米国との緊張が高まっている。トランプ政権は18年5月、イランが米英仏独中ロの6カ国と結び、経済制裁解除と引き換えに核開発計画制限に同意したイラン核合意から一方的に離脱し、強力な制裁を再発動した。反発したイランは今年7月以降、核合意が定めた上限の濃縮度3・67%を超えたウラン濃縮などを進める。安倍晋三首相は6月のイラン訪問で緊張緩和を呼び掛けたが、仲介外交は奏功しなかった。米イランの対立が収束する気配はなく、核合意は崩壊の瀬戸際だ。

 イラン核合意の当事国が合意を順守しているかの確認については国際原子力機関(IAEA)が担当しており、私たちは直接関係していない。ただ、イランの首都テヘランには、CTBT機構準備委員会が世界各地で構築を進めてきたIMSの観測施設がある。過去には(イラン側と合意の上で)観測施設が収集したデータが私たちに送られていた時期があったが、現在は観測データの送信は停止中となっている。イランとは協議を続けているが、まだ観測データの送信再開には至っていない。

(世界各地の計337カ所で整備が進められている)IMSでは、異なる国・地域の観測施設が互いの探知能力をカバーし合っている。核実験を探知するために、必ずしも当事国の観測施設が稼働している必要はない。だからと言って、テヘランに観測施設が不要だということにはならない。CTBTに署名した国々には、一定の義務や期待が生じる。CTBTの精神を満たすためにも、テヘランの観測施設はデータ送信を再開する必要がある。イランにとっても、自国が署名した条約の精神に資する行動は、地域と国際社会での信頼を高めることになるはずだ。

 ▽朝鮮半島非核化、対話継続の重要性

 ―東アジアでは、朝鮮半島の非核化交渉の停滞が鮮明になっている。18年6月の史上初の米朝首脳会談では完全非核化で合意したものの、その後の具体的な非核化措置や手順を巡る交渉は難航。今年6月末に米朝首脳は3回目の会談を行い、実務協議再開で合意したが、現時点で確たる進展はない。最近も、北朝鮮は短距離ミサイル発射を繰り返すなど軍事的な挑発を続けており、核計画が進展する可能性に懸念が示されている。

 目に見えた成果がないのではないかとの問いの答えは、イエスでもノーでもある。半杯のコップは、「半分しか残っていない」と悲観的に見るよりも、「半分も残っている」と楽観的に捉えるべきだ。これまで積み上げられてきたことを活用しながら、今後どのように事態を打開できるかを考えていこう。北朝鮮と韓国が対話を始め、それが北朝鮮と米国の対話へとつながった。(米国と韓国と合わせれば)3つの対話のテーブルが設けられたことになる。かつては対話の可能性が皆無だったことを考えれば、これは非常に大きい。その上、中朝関係、ロ朝関係にも発展が見られる。

 過去と比較すれば、北朝鮮は孤立してはいない。私たちはこの状況を活用すべきだ。対話の扉を閉ざしてはならない。トランプ大統領と北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長が結ぶ合意は、結局のところ国際社会に資することになる。米朝首脳間の緊張緩和は世界に波及し、軍縮が進展しやすい環境が作り出されるからだ。信頼が欠けた時代では起きかねない核拡散を、止めることにつながる。

 ▽被爆者の姿に教えられた

 ―ゼルボ氏がインタビューに応じたのは、8月5日。令和初となった広島原爆の日(翌6日)に催された平和記念式典に参列するため、広島市に滞在中だった。被爆地である広島、長崎を過去に何度も訪問。17年には平和運動への功績が評価され、広島市特別名誉市民の称号も受けている。

広島市役所で松井一実市長(右)と面会するCTBT機構準備委員会のゼルボ事務局長=5日午後

 私は(核廃絶に向け)忍耐強く行動を続けることを、長年対話を続けてきた被爆者の姿から教えられた。日本の人々は穏やかで、強靱だ。静かに、そしてまじめに、目指すべきものを作り上げていく。これはまさに、CTBTの発効に向けて取り組む私たちに求められている姿勢なのだと思う。これまで、ゆっくりとではあるが、確かな前進を続けてきた。核なき世界は国際社会と被爆者の夢だ。ヒロシマの精神を必ず広めていく。

 ―17年7月、核兵器禁止条約が国連で122カ国・地域の賛成により採択された。核兵器の開発や実験、保有、使用などを全面的に禁止する史上初めての条約だ。発効には50カ国・地域の批准が必要だが、現時点での批准はその半数にとどまる。米国やロシアなど核保有国は一貫して反対の立場。被爆者らは唯一の被爆国である日本こそが署名・批准し、発効に向けてリーダーシップを発揮すべきだと求めているが、米国の「核の傘」に頼る日本政府は否定的だ。

 核兵器禁止条約には、核保有国が参加しないまま核兵器禁止をどう達成できるのかという疑問がある。核軍縮の枠組みには、核保有国が含まれていなければならない。未発効のCTBTにおいて、私たちが続けてきたのと同じ議論だ。核保有国が核兵器禁止条約に参加するのであれば、核兵器のない世界を本当に実現できるだろう。ただ現状では、そのような環境はまだ作り出されてはいない。

 ラッシーナ・ゼルボ Lassina Zerbo 1963年生まれ。アフリカのブルキナファソ出身の地球物理学者。2013年からCTBT機構準備委員会(本部ウィーン)の事務局長。任期は21年7月末まで。

 ※インタビューの英文記事は下記サイト

https://english.kyodonews.net/news/2019/08/5f9ff6a3dc0b-nuke-test-ban-body-sees-end-of-inf-opportunity-for-new-framework.html

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