コムデギャルソンとオノセイゲン、誰も聴いたことのない「ランウェイのための音楽」 1987年 9月 コムデギャルソンのショーでオノセイゲンの音が使用された日

久しぶりに店舗ではなくネット通販でTシャツを購入した。 「そんなの今時普通だよ!!」 「ZoZo 知らないの?」 … って誰もが思うのも無理はない。しかし、上記購入方法が最も相応しくないブランドと言うか、店舗がこの日本には存在する。

『コムデギャルソン』。 川久保玲氏が率いるこのブランドは日本だけでなく世界でも別格と位置付けられている。その偉業を並べて数えて行けば、このコラムを3部構成にしても足りないくらいであろう。

俳優・竹中直人氏がコムデギャルソンについて訊かれた際に「嗚呼、コムデギャルソン、コムデギャルソン」としか言い表せなかった気持ちが物語っている。

最も通販が相応しくないブランドとは何故か? それは、実店舗、対面販売にこだわり抜いたブランドこそがコムデギャルソンだったからだ。店を “生き物” と捉え、常に再構築を繰り返したショップは、賞味期間が定められた服を際立たせて展示するという使命を帯びた生きた器だった。

これ程、実店舗にこだわったコムデギャルソンが何故 CDG.com と言う通販を始めたのか?

開始当時は分からなかったが、今なら分かる事もある。最先端のモードは実店舗で販売し、80年代の Re-edition モデルを通販する(店舗限定販売有)手法は実に合理的で理に叶っている。過去の作品の焼き直しは通販で… という割り切った考え方が根底にあったと思う。

さて、80年代のコムデギャルソンは際立っていて、音楽も “先の先” を行っていて、映画『戦場のメリークリスマス』のエンジニアとして名高い小野誠彦(オノセイゲン)氏にショーの音楽を依頼する。

その注文内容は「服をキレイに見せる音楽であること」。それから「まだ誰も聴いたことのない音楽であること」。この2点が川久保氏からの要望だった。

29才で調子に乗っていた(本人談)セイゲン氏はこう考えた。「僕は洋服のことは今でもよくわからない。だから高校時代に感じたヴィスコンティやフェリーニの映画から感じた美を音にした」それを形にするために盟友アート・リンゼイやジョン・ルーリーに声を掛ける。

ジャズの世界で多用されるインプロビゼーションによる即興演奏を行えば「誰も聴いた事のない音楽」になるという意見も出たが、「服に意識が向かなくなる」との反対意見で却下となった。

シンプルな注文であればあるほど、形にするのは難しい。極限なまでの緊張感の中でオノセイゲンは「コレしかない!」という音をぶつけて来た。それを真っ向から受け止めるコムデギャルソンの服群。

この時、制作された音源『COMME des GARÇONS SEIGEN ONO』は約30年以上もの長い間廃盤となっていたが、2019年春に復活。嬉しい事に LP まで発売された。

音を一聴しただけで今まで聴いた事のない音楽だという事が理解できる。まったく古さを感じさせない音。ファッションと音楽を接続する音。そして、一度見たら忘れられない新デザインのジャケットのアートワークも相まって傑作感しかない。

発売を記念して、コムデギャルソン青山店でTシャツと LP 購入者にはトートバックが配られた。そして無音が常な青山店において画期的な出来事が起こる。オノセイゲン氏のショー音源が流されたのだ。勿論エンジニアはご本人。たまたま来店していた音楽関係者が聴いても素晴らしい音だったそうだ。

この80年代中盤以降、ギャルソンを爆心地とした文化的な地殻変動は音楽やアートや文学、映画界に至るまで大きく揺さぶった。この動きを言葉にすれば、

すでにみたものでなく、 すでに繰り返されたことでなく、 新しく発見すること、 前に向かっていること、 自由で心躍ること。

… と言う事になるだろう。

川久保玲氏はこう言っている。「見ただけで何かを感じさせれば、服にできる事があるんだと思います」と。

それは、「聴いただけで何かを感じさせれば、音楽にできる事があるんだと思います」… とも言えるはず。

カタリベ: inassey

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