「万一」の心

 ひょっとしたら、という意味の「万が一」の歴史は軽く千年を超える。8世紀の史書「続日本紀」に「万一、変あらば…」という一節があるらしい▲忘れ去られた言葉は死語と言う。長生きの言葉「万一」だが、ひょっとしたら、もしかして…と「案じる心」が失われているとすれば、“生ける死語”になりつつあるのかもしれない▲胸に「万が一」の一語はよぎらなかったか。鹿児島県出水市で4歳の女の子が死亡し、同居の男(21)が暴行容疑で逮捕された事件で、警察が「虐待の可能性がある」と児童相談所に一時保護を訴えていたのに、児相はそうしなかった▲警察は、夜間に1人で外にいる女の子を4度も保護していた。何もなかったはずはない、と普通は誰もが思う。女の子の体に「あざが数カ所ある」という情報なども出水市から警察に伝わっていなかった▲各機関で、各職員の抱える件数が多すぎる、と全国あちこちで悲鳴が上がっているという。どうにかすべきではあるが、自分の悲鳴で、子どもの「助けて」の悲鳴が聞こえづらくなっていないか▲虐待死とすれば、許されないのは虐待した者をおいてほかにないが、「ひょっとしたら」と誰かが想像し、手を取り合っていれば小さな命はどうだったろう。案じる心を伴った「万が一」を死語にしてはならない。(徹)

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