歌舞伎町・明星56ビル火災から18年 遺族から「生きた証知ってもらいたい」と問いかけ 犯人の行方は未だ分からず

京アニ放火事件の実名報道是非が喧しく議論されるなか、18年前に日本一の繁華街・歌舞伎町で起きた悲劇が再びクローズアップされた。2001年9月1日未明に起きた「明星56ビル火災」である。

戦後起きた火災としては5番目の犠牲者となってしまったこの事件。詳細な検証の末出た結論は「放火」だったが、肝心の犯人の行方は掴めないまま、公訴時効は消滅した。

歌舞伎町住人にとっては忘れることの出来ない痛恨事だが、反面18年の月日は長く、インバウンドの賑わいで街ゆく人たちのほとんどが、事件自体を知らないというのが現実である。

改めて概要を振り返ってみよう。

火災が起きた明星56ビルは地上4階、地下2階。消防の調査で火元と結論が出たのは3階にあったテレビ麻雀店であった(消火栓近くと推定)。

44名の犠牲者(男性32人、女性12人)は火元の3階とその上4階に集中し、特に4階にあったセクシーパブ店では客と従業員28名全員が亡くなる、という痛ましさであった。44名もの尊い命が犠牲となった元凶が放火犯なのは言うまでもないが、この惨事ではビル管理者の杜撰な対応に、より多くの非難が集まった。

そもそも、このビルには火災以前から所轄の消防より改善するように指導がなされていた。しかし、管理者であるビルのオーナーは動かず、また店子の経営者たちの防災意識も低かったと言わざるを得ない。

信じがたいことだが、辛うじて設置されていた火災報知器も、「誤作動が多い」として切られていた。さらに防火扉の前には、雑多な荷物が日常的におかれ、その作動を妨げたのだ。

結果的に、店子で働く従業員と客が被害者となった事実を鑑みれば、管理者たちの責任が重大なのは明白であった(06年4月、遺族とオーナー側は10億円以上の支払いを条件に和解している)。

このように、管理者たちの責任が大きかったのは事実であるが、最終的には和解という形で一応のケジメはつけた。一方、まったくケジメがついていないのが、歌舞伎町の闇に消えた「放火犯」である。

筆者は当時、そしてその後もこの放火事件を取材してきたが、犯人像については事情通たちの間でも、いだ特定できていない。

しかし、このような要因ではないか? という推測は、訳知りの間でなされてきた。そのなかで筆者が印象に残っているのが、明星56ビルに入っていた店舗を巡って、闇社会間での綱引きが(放火の)背後にある、というものだ。当時、歌舞伎町の闇社会者は“再編”が活発であり、新旧の勢力がしのぎ合っていたことが、その主たる論拠だ。もちろん、消防や警察が結論を出せないなか、ひとつの推測に過ぎないのだが……。

悲劇から18年、2019年の事件現場は例年以上に注目を集めた。前述したように京アニ放火事件の影響があったことに違いはない。それと同時に、一部遺族からの匿名のAさんでもBさんでもない、「生きた証を知ってもらいたい」という真摯な問いかけも大きかった。歌舞伎町ルネッサンスで賑わういまだからこそ、改めて振り返ることが大切ではないか。(取材・文◎鈴木光司)

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