何を犠牲にしても立つ バレーボール・古賀太一郎 2020に懸ける長崎県勢 File.9

「応援してくれる地元の方々から勇気づけられている」と語る古賀=佐世保市、長崎新聞社佐世保支社

 5、6月に世界各国で開かれたバレーボールネーションズリーグ。古賀太一郎は男子日本代表のリベロとしてコートに立った。ブラジル、イタリア、アメリカ、ポーランド…。トップクラスのチームと対戦して、貴重な経験を積んだ。「何を犠牲にしても立ちたい場所」。そう位置付ける東京五輪に向けて、充実したシーズンを過ごしている。

 ■兄が道しるべ

 5歳上の兄、幸一郎が「道しるべ」だった。兄の影響で光園小1年から競技を始め、部員が2人しかいなかった花園中時代も諦めずに続けた。佐世保南高時代は全国大会も出場。大学も兄と同じ国際武道大へ進み、リベロとして頭角を現した。そして2012年、再び兄の背中を追って豊田合成トレフェルサ(現・ウルフドッグス名古屋)に入団。「目標があったから、環境に関係なく突き進んで行けた」
 だが、19年まで6年連続でVリーグのベストリベロ賞を獲得している兄の存在は、逆に大きな壁となって立ちはだかった。3年間、試合に出られないまま「活躍する場を求めて」フィンランドへ渡った。この選択は正解だった。誰も知らない土地でバレーと向き合い、それまで「ネガティブ」だった考え方が変わった。翌年はフランス、翌々年はポーランドと格上のリーグへステップアップ。この海外での武者修行は「自信を持たせてくれる分岐点」になった。17年4月、全日本に招集された。

 ■ぶれない力を

 ネーションズリーグでは、あらためて世界のレベルの高さを感じた。「日本としてできることはディフェンスだが、いつもチームでやれていることが、できないまま負けた」。追い込まれると独り善がりになったり、責任を背負い込んだりする選手が出て、そのマイナスなメンタルはチームに伝染した。一人一人の技術の向上はもちろん、自分たちの力を最大限に出せる「ぶれないチーム力」が必要だと思い知らされた。
 現在、全日本のリベロは3人登録されている。競争は激しく、現時点では「年下の2人と足並みをそろえている感じ」だ。この争いを勝ち抜くために不可欠なのはアピール力。9月にアジア選手権、10月にワールドカップと大きな大会が続いていく中、酸いも甘いも知る29歳は「負の連鎖を断つリベロ」としてコートに立ち続けるつもりだ。
 7月に佐世保へ帰省した際、地元の子どもたちを指導した。「幼少期からお世話になっている方々にも会えた。海外であった大会を寝不足になりながら見てくれる人もいた。特別な思いで応援してくれていて勇気づけられた」。結果で恩返ししたいという「使命感」がまた、強くなった。
 来季でポーランドは3年目になる。2020年4月までリーグ戦があるため、日本代表合宿への合流は少し遅れるが「一番いい状態で五輪を迎えたい」と決断に迷いはない。一緒に暮らしている妻や4歳の長女も理解して応援してくれている。東京五輪開幕まで327日。ベストを尽くす。

 【略歴】こが・たいちろう 兄の幸一郎(名古屋)の影響を受け、小学生からバレーボールを始める。花園中から佐世保南高、国際武道大へ進学。2012年に兄と同じ豊田合成(現・名古屋)に入団した。13年のユニバーシアードで銅メダルに貢献。15年にフィンランドへ移籍。フランスを経て、ポーランドで活躍中。朝の始まりは1杯のコーヒーから。170センチ、70キロ。29歳。佐世保市出身。

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