坂町で生きる。ボランティアを暮らしの中で続けること

昨年の豪雨から約1年が過ぎた広島県のJR坂駅で、真夏の日曜の昼下がりに待ち合わせをした。坂町住民であり、被災当時よりボランティア活動を欠かさず続けている大迫雅俊さん(59才)のお宅でお話を伺うためだ。

昨夏は駅から徒歩10分程のボランティアセンターに向かう道のりで、朝から暑さや汚れ対策をしたボランティア参加者や、土砂で埋まった光景も見えた。

それが今はほぼ回復したように見える駅前周辺。

大迫さんは広島市内で会社勤めをしつつ坂町消防団員としても活動している。この日、消防団の用事の後に時間を作って、制服姿のまま車で迎えに来てくださった。大迫さんの車に乗って駅から10分程のご自宅へ向かう。

その道中、災害直後と今の航空写真のプリントを頂き「ここがこの辺りです」と指差し教えてもらいながら、その土地の以前と今と比較する。目の前に広がる駅前周辺の景色の中で、多くの家が災害前よりもなくなっているのだと気づく。

細い路地裏の合間にポコンポコンと、いくつもの更地になった空き地があった。

家の取り壊しを公費でするならば、住民は昨年末までに決断をしなければならなかった。他の土地に家を建て替えたり、坂町の公営住宅などに住まないと決断した人達はこの町を離れた。家を全壊する選択をした人の土地はまっさらな更地になり、その後のめども立っていないものも多いそう。そんな土地がここにも、そこにもと、大迫さんは教えてくれた。

人が、去っていったのだ。いま坂町は復興へと向け変わっている最中だ。
さらに車を走らせ、大迫さんの自宅のある坂町の山の急な斜面の細道を登っていく。

両脇の余裕は10センチもあっただろうか。とても細い。運転が苦手な私は、この曲がり角は本当に曲がれるのかと何度も思った。

バスは通っておらず、災害直後も重機がなかなか山の斜面の上には登れず、大変だったそう。とは言えこの辺りに住む高齢者や運転が出来ない・しない人達などは、昔から徒歩で行き来しているそうだ。

大迫さんのお宅は山の斜面に建つ大きな平屋の一軒家。
被災後、母屋は住めない状態が続いた為、すぐ近くの離れで家族と暮らしながら近隣の復旧活動や暮らしを続けた。今は母屋もすっかり修復されている。

この日一緒にお話をして下さったお母さん・大迫勝子さん(86才)。つまみ絵という手工芸を長年教えて来た先生でもある。坂の上の暮らしは、昔から。災害云々でなくても生活の中ですべき事として慣れており、勝子さんはここでの生活を 大切に愛している。お宅に伺うと、ケーキを出して下さった。

「坂町に昔からあるケーキ屋なんですよ。ここも大変でしたが今は再開して」カラフルなどこか懐かしい優しいケーキ。パティスリーレクールさんの甘くてホッとする味に、場が和んだ。お誕生日やお持たせにと、きっと沢山の人の日常と共にあったのだろう。

こうして普通に出されるまでの道のりを考えると、日々は本当に奇跡のような連続だと思う。

そして大迫さんは7月6日に起こった事や、その後のこと、いま感じ考えている事などを話してくれた。

災害時の夕方。家族は避難し、大迫さんは消防本部から自宅そばで崖崩れが発生したとの情報を受け、団員と向かった。自宅隣の住民を避難させた直後に、見上げると土石流が発生。折れた大木と電信柱が、隣の家にめり込む。そして引きちぎれた電線がショートし家に引火。30分程で隣家は全焼した。大迫さん宅にもちぎれた電線などが直撃し、屋根を5m以上切り裂く。全てがあっという間の出来事で、ヒューヒューと音がどこかで鳴っていたと言う。

大迫さん宅は、その亀裂から降り込んだ大雨で家の中はグチャクチャになったが、様々な非常事態が各地で起こっている為、自分の家まで中々手が着けられない状況が続く。

そんな大迫さん宅の土砂撤去を行ったのは以前、彼がボランティアとして関わってきた人達や息子さんのかつてのやんちゃ仲間、奥さんの勤める保育園の先生や保護者など大迫さんや家族が関わってきた様々な人達だったという。

15年続けている8月6日原爆の日のボランティア活動や、4年前に広島県安佐南区で災害ボランティアとして関わった時の人達。今度は私がと、沢山の人が大迫さん宅にも坂町にも集まった。

そして大迫さん自身も、今回のように規模が大きく長期化するボランティア活動に当事者としても関わっていく中で、ボランティアを人生の半分位を占めて生きる人がいたり、重機ボランティアとして全国を回る人達や、今も被災者に寄り添い復興を支援する学生ボランティアがいる事など、ボランティアの受け手として多くの事を感じたそう。

そして今も、出来る事をと休みを利用しほぼ毎週坂町のボランティアに参加している。まだまだ暮らしに困っている人は沢山いるからだ。ボランティアは今も必要で、希望の人がいれば大歓迎とのこと。

「妻が坂町の保育園に勤めてまして、良かったら…」と手作りの桃色の冊子を見せてくれた。

忘れてはならない記憶として、災害の体験をまとめられた冊子『まだみぬ すべての おとなたちへ』だ。坂・小屋浦みみょう保育園の保護者や園の先生達など有志によって平成31年3月に発行。 読む事がつまってしまうような、体験記や子ども達への心からのメッセージに溢れた貴重な1冊だった。

目の前に見えない事を、人は忘れていきがちだ。現状を知らなかったり、何事もないように映る日常の慌ただしい自分の日々。

しかし、1歩知ろうと歩み寄った時、どうなのだろう。 ボランティアには「想像力」や「創造力」が必要なのではと大迫さんは言う。何かに参加しなくとも、その場や地域の景色を自分の目で見てみる、知ってみようとするだけでもいい。

もしかしたら目の前の、大事な家族や近所の人、近しい人とゆっくりお茶をしてみるだけでもいいのかもしれない。

坂の上から見下ろした山々に囲まれた家々の見える谷あいの景色。遠くに海も見え、とても美しかった。目の前に広がる景色が変わっても、忘れていく事と、忘れない事。今日という日常が子どもにも大人にも優しく在る為に、災害で得た教訓や出来事は忘れてはならないと私は思う。

 

お話を伺った人:大迫雅俊さん、勝子さん
絵と文 沢田妙

© 一般社団法人助けあいジャパン