楢崎智亜、東京五輪・金メダルへの道程とは エースの戦略に見る「日本人の勝ち方」

東京五輪の追加種目となったスポーツクライミングは、メダル獲得が有力な種目として注目されている。そして今、最も金メダルに近い日本人選手が、男子の楢崎智亜だ。今季、楢崎は5月の第2回コンバインド・ジャパンカップ(CJC)で2連覇を達成し、ボルダリングでも自身2度目のIFSCクライミング・ワールドカップ ボルダリング(ボルダリングW杯)年間チャンピオンとなった。国内外で結果を残す、まさに絶好調の男である。

(文=篠幸彦、写真=Getty Images)

東京五輪ルール“コンバインド”とは

スポーツクライミングは登る速さを競う“スピード”、登り切れた完登数を競う“ボルダリング”、登る高さを競う“リード”の3種目がある。この競技性が異なる3つを複合種目としたのが東京五輪でも採用される“コンバインド”だ。楢崎はそのコンバインドで2年連続日本一となった。最も金メダルに近い日本人である。無論、その強さは国内のみにとどまらない。楢崎は世界中を含めても東京五輪で金メダル候補筆頭の一人と言える。

コンバインドはスピード、ボルダリング、リードの順に競技を行い、各種目の順位を掛け算した数字を総合ポイントとして順位をつける。最もポイントの低い選手が勝者だ。先日のCJCを例にすると、楢崎はスピード1位×ボルダリング3位×リード2位で6ポイント。2位の原田海はスピード6位×ボルダリング2位×リード1位で12ポイントとなり、楢崎が6ポイント差で優勝した。

もし同ポイントならどうなるか。仮に原田がスピードで3位を取ったとしたら6ポイントで並ぶ。3つの順位も1位、2位、3位と同じだ。しかしこの場合、原田はボルダリングとリードの2種目で楢崎よりも上位を取っているため、原田の優勝となる。同じ順位、同じポイントであっても、その順位の取り方によって勝敗が分かれる可能性があるのだ。コンバインドでの上位の狙い方のイメージはおおよそ掴めただろうか。

CJC優勝後、楢崎は「スピードとボルダリングでの逃げ切りが日本人の勝ち方」と語った。楢崎の戦略を通して、コンバインドでの勝ち方がいかなるものかを見ていく

スタートダッシュを狙いたい第1種目“スピード”

逃げ切りを狙う楢崎とって、第1種目のスピードはメダル獲得のキーとなる。楢崎は本来、ボルダリングを専門とし、スピードは専門外だ。しかし、それは他の選手にとっても同様である。これまでスポーツクライミングは各3種目でメダルが争われ、選手はいずれかを専門にして活動してきた。その中でもボルダリングとリードは競技性に共通点が多く、どちらかに軸を置いて兼業する選手は少なくない。五輪を目指す選手の多くはこのタイプだ。

一方、スピードは他の2つとは競技性が大きく異なる。例を一つ挙げると、ボルダリングとリードはホールドを手で保持することが要となる。しっかりと掴んでそこから登りを構築していくのが基本だ。しかしスピードに保持は必要ない。掴むことなくホールドをかき上げてどんどん上に進んでいく。これだけでクライマーにとっては全く別の競技をしている感覚となる。つまり東京五輪のために多くの選手が、競技性の違う種目をゼロから習得し始めているのだ。

それが楢崎の追い風になっている。

楢崎のスピードを指導する日本唯一の専任選手である池田雄大は「彼のポテンシャルはまさにスピード向き」と太鼓判を押す。楢崎はバネのようにしなやかな全身の筋肉から爆発的な瞬発力を生み出し、それを体全体で連動させるコーディネーション能力がずば抜けて高い。スピードは全身の動きを連動させ、ロスなく体を押し上げることで加速を生む。楢崎の能力はまさにスピードに適していた。

スピードのトレーニングを始めてから右肩上がりに力をつける楢崎は、大会を重ねるごとに自己ベストを更新。先日のCJC決勝で6秒291の日本新記録とともに1位を獲得した。前回のCJCでも1位を獲得しており、楢崎はすでにコンバインドにおいてのスピードを十八番としていた。

もう一つ、スピードが他の2つと異なる点を挙げる。ボルダリングとリードは大会ごとに「課題」と言われる新しいコースが作られる。特にボルダリングは選手が毎回初見の課題をどう攻略するかが一つの見どころだ。自分の得意、あるいは不得意な課題が来るかは蓋を開けてみなければわからず、運が絡んでくる。一方、スピードの課題は毎回同じである。選手は練習で登り込んだ課題を本番でどれだけミスなく登れるかが重要となる。つまり運要素がない。運に左右されないこの種目で、上位を計算できる楢崎は大きなアドバンテージを握っていると言えるのだ。

ただし、当然落とし穴はある。楢崎は昨年のIFSC クライミング・世界選手権(世界選手権)のコンバインド決勝でもスピードで1位有力と見られていたが、フライングによって最下位となった。それが響き、総合でも5位とメダルを逃している。スピードはワンミスが命取りとなり得る種目なのだ。楢崎は計算できるスピードでミスなく確実に上位を取り、第2種目に繋げられるかが序盤の焦点となる。

年間王者でも安泰ではない激戦区の第2種目“ボルダリング”

第2種目のボルダリングは課題の完登数を競う種目となる。ポイントは初見となる課題の正解ムーブをどれだけ素早く正確に読み、対応できるかである。シークエンスが複雑でムーブが読めずにどつぼにはまってしまうと、体力を消耗し、トライ数がかさむことでスコア上でも不利となる。ボルダリングはテクニックやフィジカルと同じくらい、どう登るかを読む力が問われる種目なのだ。そして、この種目において楢崎は年間チャンピオンである。今シーズン参戦したボルダリングW杯4大会で優勝1回、準優勝3回とその安定感は抜群だ。日本全体で見ても、ボルダリングW杯の国別ランキングで日本は6年連続1位を獲り、この種目を得意としている。

楢崎が狙うのは当然1位である。ただ、ここからはライバルも強力な面々が揃っている。世界中からボルダリングの猛者が集まり、年間チャンピオンとはいえ、スピードほどのアドバンテージはない。加えて、すでに述べたようにボルダリングは運要素もある。安定感では今季最強だが、取りこぼす可能性も大いにあり得る。事実、先日のCJCでも3位となり、3種目の中で一番順位を落としている。それでも楢崎はここでなんとしても上位を取らなければならない理由がある。それは最終種目のリードだ。

最終種目“リード”で待ち構える2人のスペシャリスト

楢崎のCJCでのリード2位は、優勝を引き寄せた大きな要因の一つだ。しかし、優勝後の取材で「リードは世界のトップ選手との差がまだ埋まっていない」と、世界を見据えたときの現在地を素直に吐露した。持久力に課題がある楢崎は、3種目の中で登った高さを競うリードを最も苦手としている。

思い返すのは昨年の世界選手権だ。コンバインド決勝のスピードでフライングをして最下位、ボルダリングでも3位と思うように順位が取れずに苦戦した。楢崎はスピードを落とした時点で「優勝は厳しい」と感じていた。

最終種目のリードでチェコのアダム・オンドラが1位、オーストリアのヤコブ・シューベルトが2位となり、楢崎は4位。この2人は欧州を代表するリードのスペシャリストで、楢崎が金メダルを獲得する上で障壁となるライバルだ。

楢崎がスピードでアドバンテージを握るように、この2人はリードでアドバンテージを握っている。現時点では楢崎がリードで上位を狙うのは現実的ではない。それは楢崎だけに限った話ではなく、日本人選手にはリードを専門とするトップ選手が少ない。そして世界のトップ選手と比べるとリードはまだまだ力の差があった。日本人選手に可能性が全くないというわけではないが、リードで勝負というのは戦略的に悪手と言わざるを得ない。

昨年の世界選手権ではボルダリングでもこの2人に1位と2位を獲られ、総合でヤコブが1位、アダムが2位と表彰台の上位に並ばれている。楢崎の言う日本人の勝ち方は、裏を返せば先の2つを取りこぼすと逆転は難しいという意味でもあった。ボルダリングは何が起こるかわからないだけに、スピードで1位を獲ることがとにかく重要だ。スピードがメダル獲得のキーとなると述べた意味が理解できただろうか。

楢崎が苦杯をなめた世界選手権が、今年も8月に東京・八王子で開催される。今大会は東京五輪の代表選考会も兼ねており、ここでの結果や内容は来年の本大会に向けた試金石とも言える。そして実は楢崎の言葉にはこんな枕詞が付いていた。「“8月の世界選手権では”スピードとボルダリングでの逃げ切りが日本人の勝ち方」であると。今最も金メダルに近い男が、東京五輪内定とともに、まずは世界選手権での金メダル獲得を狙う。

<了>

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