PANTA(頭脳警察)×末井昭(編集者)×曽根賢(ex.『BURST』編集長)×森下くるみ(文筆家)【前編】

ピスケンの由来はPANTAの『P.I.S.S.』から

──さて、『暴走対談LOFT編』も今回が最終回ということに相成りました。

PANTA:あっという間の9カ月だったね。これが最後ということであれば、やはり元祖『暴走対談』を連載させてもらっていた『BURST』の編集長・ピスケンと元白夜書房の末井さんにご登場いただこうと思ってさ。『BURST』というのは、タトゥー、ボディピアス、ドラッグ、身体改造、暴走族、ヤクザ、右翼に至るまで、あらゆるヤバいテーマに斬り込んだ極悪雑誌なんだけど(笑)、最初の企画段階ではバイク雑誌になるはずだった。少なくともピスケンから連載の話をもらった時はそうで、それがいつの間にかバイクのバの字もなくなってね。そんな雑誌を大きな目で見て援護してくれていたのが末井さんだったんじゃないかと俺は勝手に想像しているんですけど。

末井:だいたいそんなところですね(笑)。

──『BURST』の企画書が上がってきた時、末井さんはどう感じたんですか。

末井:当時、僕はパチンコ・パチスロの他、競輪、競馬、麻雀、カジノなどの雑誌に関わっていて、自分でもギャンブルに熱中してたので、他のことには目が行かなかったんです。

PANTA:末井さんと言えば、『パチンコ必勝ガイド』で当てて白夜書房のビルを建てたという有名な逸話がありますけれども。

末井:それは本当ですね、ものすごい儲かりましたから。ギャンブルに熱中していたので、企画書もちゃんと見てなかったけど、実際に仕上がった『BURST』を見て、これはすごい雑誌だなと思いましたよ。それはよく覚えています。実際にピスケンと会ったのは、だいぶ後になってからだよね?

曽根:『BURST』を出して、もう5、6号は出てた頃かな。

PANTA:当時の末井さんは小豆相場にも手を出していたんですよね?(笑)

末井:小豆だけじゃなく、米国産大豆とか粗糖とかいろんなものに手を出していました。不動産取引で3億7000万の借金がありましたから、もうどうでもいいやって気持ちになって、高レートのギャンブルをやってました。

PANTA:すごいですね。すべてが〈ケ・セラ・セラ〉で生きているような感じと言うか(笑)。ご存知の方も多いと思いますが、末井さんは小学生の時にお母様が若い男性とダイナマイト心中を遂げたという壮絶な経験をお持ちで。

末井:はい。去年、映画(冨永昌敬監督の『素敵なダイナマイトスキャンダル』)にもなりました。

──そもそも『BURST』はどんな経緯で創刊されたのでしょう?

曽根:僕はもともと前の会社でエロ本の編集をしていて、それが天職だと思っていたんですが、2冊同時に発禁を喰らったんですよ。で、当時はエロ、バイク、車が三種の神器だったので、バイクの雑誌ならできるかなと思って。それで『BURST』の前身となる『CRUSH CITY RIDERS』を1994年に作ったんです。その頃から僕はピスケンと名乗っていたんですが、それはPANTAの『P.I.S.S.』から取ったんです。僕はエロ本時代から必ずコンビを組んで雑誌を作るようにしていて、『CRUSH CITY RIDERS』でもユージという、その後『BURST』でタッグを組む相棒がいて、〈ピス&ジャンク〉というコンビ名を軽い気持ちで考えたんです。それでユージに「今日からお前はジャンク・ユージだ」と勝手に命名して、僕はピスケンが通り名になったんですね。

──PANTAさんとはどのように知り合ったんですか。

曽根:『BURST』で〈暗闇坂むささび変化〉というバイク・チームを取材に行ったら、そのチームの人がPANTAを紹介してくれることになって。それも今日来てくれると。取材が終わってけっこう遅い時間だったんですけど。

PANTA:駒沢公園の駐車場だったね。

曽根:そう、そこにホントにPANTAが来てくれたんですよ。僕はもともとファンだったから嬉しくて、その場で恐る恐る「対談ページのホストになってほしい」とお願いしたんですよ。マネージャーはそこにいなくて、その場でOKをもらえたのか記憶が定かじゃありませんけど。

PANTA:それは社交辞令で「いいよ」と言うだろうね(笑)。

──『BURST』という雑誌名はやはり石井聰亙(現・石井岳龍)監督の代表作『爆裂都市BURST CITY』から?

曽根:それが違うんですよ。前身の『CRUSH CITY RIDERS』はクラッシュの「CLASH CITY ROCKERS」から来ているんですけど、バイク誌で“CRUSH”も“CLASH”も不吉じゃないですか。それで白夜書房の系列のコアマガジンでもう一度バイク誌を始める時に、ユージの口から何気なく“BURST”という言葉が出たんですよ。“BURST”=破裂する、爆発する。カッコいいじゃん!って。もちろんそれまでに『爆裂都市BURST CITY』も観ていましたけど、そっちは頭になかったんです。

緊縛された森下くるみの表紙は屈指の出来

──PANTAさんがバイク好きなのを知って誌面に起用したのかと思えば、実は違うんですよね?

曽根:『BURST』は当初バイク誌でありながらハードコア・パンク誌と思われた時期がけっこう長かったんですが、頭脳警察は日本のハードコア・パンク界では日本で最初のハードコア・パンクと言われているんですよ。若い奴らもみんなそう言っている。その頭脳警察をやっていたPANTAがバイク好きだったことを僕は知らなかったんです。あと、PANTAの一番最初の対談相手をアナーキーの仲野茂さんが引き受けてくれたんだけど、茂さんも実はバイク好きだった。そんなふうにPANTAと茂さんが『BURST』の初期の段階から対談してくれて、2人とも連載をしてもらえて、『BURST』の核であるハードコアの部分は偶然にも最初からあったんですよね。しかも『暴走対談』は『BURST』が終わるまでやってもらったし、PANTAこそ『BURST』の核だった。今日はこういう場を設けさせてもらって、改めてそんなことを思いました。

末井:『暴走対談』にはすごい人たちばかりが出てましたよね。みうらじゅんさん、鈴木邦男さん、友川カズキさん…35人くらいいましたっけ?

曽根:いや、もっといましたよ。

PANTA:懲役囚ばかりだったけどね(笑)。

末井:見沢知廉さんやジョー山中さんとか、もう亡くなった方もいますね。遠藤ミチロウさんもこのあいだ亡くなってしまったし。

PANTA:塩見孝也さんとかね。とにかく印象深い人ばかりだった。印象深くない人なんているわけないよね(笑)。

──今日は特別ゲストとして森下くるみさんにもお越しいただいていますが、森下さんと『BURST』のご縁というのは?

森下:私は一度、表紙をやらせてもらったことがあるんです。当時、『ビデオメイトDX』とかコアマガジンの雑誌で連載をしたり、グラビアをしたり、よく仕事をさせてもらっていて、コアマガジンに出入りをする中で「うちはこういう雑誌も出してるんだよ」と教えてもらった記憶があります。

曽根:森下さんとはロフトプラスワンのイベントで同席したことがあったんです。森下さんが死体カメラマンの釣崎清隆さんの写真が好きだと聞いていたので、だったら釣さんがシャッターを切るから表紙になってくれませんか?とその場でお願いしまして。そこに事務所の社長もおられてOKをいただいて、青空をバックに浴衣を着た森下さんが縄で縛られて宙に浮いている写真を僕がディレクションしたんですよ(2001年10月号)。あれは僕が好きな表紙のベスト5に入りますね。とにかくヘンな写真なんです。

森下:緊縛された私が風船のように浮いているイメージでしたね(笑)。

──『暴走対談』というネーミングはどこから来たんですか。

曽根:夜中に僕とユージで全ページをレイアウトしていたんですよ。僕らはエロ本上がりなのでデザイナーを使わずに全部自分たちでレイアウトしていたんです。その時に写真はもう出来上がっていて、見開きページの片方にPANTA、片方に茂さんという配置だったんだけど、苦し紛れに付けたタイトルだったと思うんですよ。「もういいよ、『暴走対談』で」って感じで(笑)。〈暴走〉なんて、何のひねりもないじゃないですか。だけど『BURST』という爆発するようなネーミングのバイク誌だから、何となく〈暴走〉しとけばいいんじゃないか?っていう(笑)。

──そういう何のひねりもないものが却って良かったりしますよね。

曽根:PANTAはどう思ったのか分かりませんけどね。

PANTA:まぁ、俺も何も考えてないからね(笑)。

──ピスケンさんが印象深いゲストはどなたですか。

曽根:僕は初期しか同席してなくて、後は知り合いが出る時しか同席しなかったんですけど、特に印象深いのは加藤鷹さんかな。

PANTA:俺もそれを言おうと思ってたんだよ(笑)。2時間で終わるはずが延々と話し込んじゃってさ。結局、6、7時間くらい話したんじゃない?全然帰ろうとしないんだから(笑)。

曽根:それでなくても『暴走対談』はだいたい長いんですよ。普通、対談というのは1時間もあれば充分で、長くても2時間なのに、『暴走対談』はいつも4時間くらい話してるんです。しかもコアマガジンの1階の倉庫みたいな酷い所で対談してもらって。僕は同じビルの6階で仕事をしていたんですけど、加藤鷹さんの時はPANTAが一向に上へあがってこなかったんですよ(笑)。

PANTA:まぁ、内容はすごく面白かったけどね。スタッフがここぞとばかりに「加藤さん、テクニックを教えてください」とお願いしたら、「テクニックじゃありません。マナーです」と答えたりして(笑)。ゴールドフィンガーを駆使するあまりに深爪もいいところで、指の肉が盛り上がっててさ。あれはすごかったね。(つづく)

*本稿は2019年6月29日(土)にNAKED LOFTで開催された『PANTA暴走対談LOFT編50周年記念対談最終回!「暴走対談の暴走対談」』を採録したものです。

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