元祖メタルクイーン本城未沙子、全てはここから始まった! 1982年 10月21日 本城未沙子のデビューアルバム「魔女伝説」がリリースされた日

昨今の HM/HR シーンは、以前にも増して女性アーティストが花盛りだ。日本では BABYMETAL の快進撃は周知の通りだが、ラヴ・バイツのような海外進出も厭わないバンドも登場し、もはや「女性」「ガールズ」と敢えて称するのもはばかられる活躍ぶりである。年々ファン層が高齢化していく HM/HR マーケットを、今や女性アーティスト達が支える構図が顕著になっている。

そんなメタル系の女性アーティストを溯ると、やはり80年代に帰着していく。今も第一線の浜田麻里、SHOW-YA らがまず頭に浮かぶが、“元祖メタルクイーン” 本城未沙子の存在を忘れてはいけない。

彼女がデビューした82年10月は、80sジャパメタムーブメントの黎明期だ。ラウドネスのセカンドアルバム発売のわずか3ヶ月後であり、浜田麻里のデビューより半年も早い。当時の女性メタル系シンガーといえば、70年代から活動し、5X のヴォーカルを務めたカルメン・マキ等もいたが、女性ソロメタルシンガーとしてデビューしたのは、本城未沙子が最初だろう。

身長170cm を超える恵まれた肢体と大人びたクールなルックス。“Virgin Devil Princess” のキャッチコピーを冠された彼女が、あの頃まだ17歳の現役高校生だったという事実に、改めて驚かされる。同年代の女性歌手の多くが、全盛時代のアイドルとして活動する最中に、彼女はまだ誰も体験していない道のりを歩み始めたのだ。

彼女自身も近年公言しているが、かの長戸大幸氏が彼女の母方の従兄叔父にあたることが、デビューに至るひとつのきっかけだったのは想像に難くない。さらには、長戸氏率いる初期ビーイング所属のラウドネスの妹分になったのも、自然な流れといえるだろう。

しかし、そうした事情など知るはずもなく、ラウドネスの高崎晃プロデュースの女性シンガーが突如現れる展開に、僕らは驚かされた。それもそのはず、当時の HM/HR シーンは圧倒的に男性上位で、女性と言えば前述のカルメン・マキや、海外でも NWOBHM のガールスクールくらいしか思い浮かばない時代だったからだ。そんなご時世に、17歳の女子高生にメタルを歌わせた長戸氏の斬新な発想には、今のシーンに通じる先見の明を感じてしまう。

本人のアー写でなく、キャラクター化したイラストで描かれたミステリアスなジャケットも、彼女へのイマジネーションを膨らませることになった。デビュー作『魔女伝説』は、ラウドネスのメンバーがバックを固め、さながら彼らの別プロジェクトといった雰囲気も醸し出していた。

収録曲の半数以上がカヴァー曲で占められていたが、スレイドのカヴァー「カモン・フィール・ザ・ノイズ」を、何とクワイエット・ライオットの大ヒットよりも早くカヴァーしている。

肝心の本人の歌唱だが、正直初々しさよりも未完成な印象が目立ち、僕は当時初めてラジオで聴いた時、少々困惑したのも事実だ。それでも本城未沙子の勢いはとどまる事なく、衝撃のデビューからわずか5ヶ月後に早くもセカンドアルバム『13TH』をリリース。これも浜田麻里のデビュー1ヶ月前だ。

『魔女伝説』とほぼ同様の布陣で、制作はおそらく同時進行だったのだろうが、彼女の歌唱はデビュー時の危うさが薄れ力強くなり、メタルシンガーとしての着実な成長が伺える。オリジナル楽曲も充実し、ラウドネスの鉄壁の演奏と相まって、彼女の最高傑作と言っても良いだろう。

この初期2作をラウドネスからの視点でみると、いい意味で格好の実験の場になったはずだ。例えば、ラッシュ的なアレンジを大胆に取り入れるなど、後の彼らのアルバムに登場するアプローチがいくつも散見されるのは興味深い。

怒涛のリリースはさらに続き、わずか4ヶ月後の83年7月には、新たに5Xのジョージ吾妻プロデュースで、5Xをバックに従えたサードアルバム『ザ・クルーザー / 幻想の侵略者』をリリース。従来と異なるキャッチーなテイストのハードロックを、より緩急をつけた歌で表現し、さらなる成長を示した。

その後も85年までの短期間に、デビュー以来何と8枚もの怒涛のアルバムリリースに追われた。一方で、ライヴ活動はデビュー時に X-RAY を従えてのお披露目のみだったが、84年5月には伝説のグランドメタルフェスに出演。勢いを増していくムーブメントの中で、元祖女性ソロシンガーとしての存在感をライヴでも見せてくれた。

イニシャルにH・M(ヘヴィメタル)を冠したシンガーの先鋒として、最初にシーンに挑んだのが本城未沙子だ。その流れは本格派の浜田麻里、初の歌謡アイドルメタルの早川めぐみ、等へと続いていった。彼女がプロトタイプとして提示したアーティスト像は、後続のシンガー達の道標になっただろうし、そのプロデュース手法などは、のちのビーイング系女性アーティストの系譜にもつながるだろう。

初期3部作以降は、徐々に HM/HR 色を薄めながら90年まで活動を続け、以降はシーンから遠ざかってしまう。けれども、その間に一人の女性として様々な分野で成長を遂げ、ここ数年は再び積極的な音楽活動を行っている。年齢を感じさせないルックスで活き活きと歌うライヴ映像をみると、その歌声は彼女自身の人生を投影しているかのようで、心に響いてくる。

女性 HM/HR アーティスト全盛の今だからこそ、本城未沙子が果敢に歩んだ軌跡を再確認してほしい。そこには、現代のアーティストに通じる礎を見つけられるはずだ。その時初めて、80年代を一気に駆け抜けた「元祖メタルクイーン」の功績を実感できることだろう。

カタリベ: 中塚一晶

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