理想求め、意志貫く

埼玉3偉人の1人、近代日本初の女性医師

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田村文

共同通信記者

田村文

共同通信記者

1965年生まれ。89年共同通信社入社。大阪支社社会部、長野支局、名古屋支社編集部、社会部などを経て、97年12月から2018年6月まで文化部に在籍した。放送、演劇、女性、労働、教育などの担当を経た後、最も長く担当したのが文芸。現在は「47ニュース」で「新刊レビュー」を執筆中

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荻野吟子肖像(埼玉県熊谷市提供)

 埼玉県民ではない方々にとってはどうでもいいことかもしれないので、おそるおそる聞くわけだが、「埼玉3偉人」をご存知だろうか。(共同通信=田村文)

 3人の中で最も知名度が高いのは、実業家の渋沢栄一(1840~1931年)だろう。「日本資本主義の父」とも呼ばれ、2024年度から発行される新1万円札の“顔”になる。21年のNHK大河ドラマ「青天を衝(つ)け」の主人公にも決まった。いま、出身地である埼玉県深谷市は大いに盛り上がっている。

 もう1人は、盲目の国学者、塙保己一(はなわ・ほきいち、1746~1821年)である。文字が見えないので、人が音読したものを暗記して学んだ。抜群の頭脳を持つ努力家。希少な歴史書、和歌、日記などを集めた「群書類従(ぐんしょるいじゅう)」約670冊を編さんし、ヘレン・ケラーが目標にしたという人物だ。こちらは本庄市生まれ。

 最後の1人は、他の2人に比べると知名度は若干落ちるかもしれない。しかし、いま最も注目されるべき人物だと思う。荻野吟子(おぎの・ぎんこ、1851~1913年)、熊谷市生まれ。近代日本初の女性医師である。

 ▽「明治時代なのか!」

 吟子の半生を描く映画「一粒の麦」が完成した。10月26日に熊谷市と東京・新宿で公開されるのを皮切りに、名古屋市、さいたま市、横浜市、札幌市、大阪市など、各地で上映される予定だ。8月下旬、さいたま市で試写会が開かれ、監督の山田火砂子さんや吟子を演じる若村麻由美さんが挨拶した。

 山田監督は昨年発覚した医学部入試における女性差別問題で「日本は明治時代なのか!」と憤慨し、製作を思い立ったと明かした。逆境を乗り越え、意志を貫いた吟子の生き方について、若村さんも「憧れと尊敬を持って演じられたことを幸せに思う」と語った。その人生はどんなものだったのか。

 江戸末期、武蔵国俵瀬村(現・熊谷市俵瀬)に生まれた。勉学を好む才女だった。10代で近郷の大地主の長男と結婚、ところがその夫から性病(淋病)をうつされたことがもとで離婚することになる。

 重い病状だけでなく、治療の際に男性の医師たちに診察・治療されることの羞恥と屈辱にも苦しんだ。だからこそ、同じ思いを持つ女性たちを救おうと、医師を志したのである。だが当時、女性が医師になる道はなかった。

 ▽「前例」見つけて突破

 東京女子師範学校(現・お茶の水女子大)に1期生として入学。首席で卒業し、私立の医学校「好寿院」に入る。映画では、この好寿院時代のエピソードが印象的だ。

 男装して登校する吟子を待っていたのは好奇の目。同級生の男性たちの嫉妬や嫌がらせは、さもありなんである。女性は吟子ひとり、トイレも使えず困っている吟子に、それでも手を差しのべてくれる人はいた。

 このエピソードは史実そのままではないかもしれない。しかしいつの世も、少数者をいじめたり仲間外れにしたりする人ばかりでなく、助けてくれる人もいたはずだ。そうでなければ「初の女性医師」は生まれなかったと思う。

 最大の試練は卒業後だった。当時、女性に「医術開業試験」は認められていない。東京府や埼玉県、内務省などに願書を出したが、前例がないことなどを理由にいずれも却下される。鉄のごとき扉。しかし吟子は思う。本当に前例はないのか?

 そこで登場するのが、なんと塙保己一、埼玉3偉人である。古代に作られた律令の解説書「令義解(りょうのぎげ)」を江戸時代に復元していた。その中に「医疾令」という法律があり、女性医師の規定が書かれていた。「前例」があったのだ。

 それを示して内務省を説得し、やっと受験が認められたのは、卒業から2年後だった。その後、吟子は東京・湯島に診療所を開設し、多くの女性たちを救った。

映画「一粒の麦」の一場面(「現代ぷろだくしょん」提供)

 ▽利根川の近くに

 映画は、医師になった後の吟子の人生も追う。13歳年下の学生で敬虔なキリスト教徒の志方之善と知り合い、結婚。濃尾大地震で孤児になった女子たちを保護するために立ち上がった石井亮一に共鳴し、子どもたちのために診療所を開放する。やがて理想郷の開拓のため、先に北海道・インマヌエル(現・北海道今金町)に渡った志方を追って行き、インマヌエルに診療所を開業するー。

 波瀾万丈な人生だ。「近代日本初の女性医師」という達成に自足しない。自由で、伸びやかで、どこまでも理想を求める意志的な生き方は、魅力を放ってやまない。

 生家があったあたりにはいま、荻野吟子記念館がある。案内してくれた小林司郎さん(NPO法人めぬまガイドボランティア阿うんの会)によると、吟子の業績に光が当たるようになったのは、作家の渡辺淳一さんが吟子を主人公にした小説「花埋み」(1970年)を出版して以降だという。三田佳子さんが主演した劇作「命燃えて」も知名度アップに貢献した。

荻野吟子記念館の展示風景

 しかし、いまも日本では女性医師の数は少ない。2016年時点で医師全体に占める女性の割合は21・1%、OECD加盟国の中でも最低レベルだ。

 門戸は開いていても、大学が意図的にその門を狭くしていたことも分かったばかり。暗澹たる気持ちになる。吟子が医師を目指した時代と同じように、女性医師を求める女性たちは今もたくさんいるはずなのに。

記念館の横に、これも埼玉県人の金子兜太の句碑があった。

 <荻野吟子の生命とありぬ冬の利根>

 すぐ近くには、たっぷりと水をたたえた利根川が、今もとうとうと流れている。