石田城「国史跡に指定を」 五島・専門家招きシンポ

歴史や土木技術、立地などさまざまな観点から石田城について考察したシンポジウム=五島市、福江文化会館

 長崎県五島市の県指定史跡「石田城跡」について、地質学や地形学の観点から価値を見直そうとする「石田城再発見シンポジウム」が15日、同市池田町の福江文化会館であった。城郭史に詳しい滋賀県立大の中井均教授は基調講演で「石垣や堀の多くが当時のまま残っているのは全国でも珍しく、国史跡に指定して保存すべきだ」と指摘した。
 市が現在、希少な地質と地形、それにまつわる人々の営みや生態系の「日本ジオパーク」認定を目指していることを受け、市民団体「五島自然塾」が主催。考古学や歴史などの専門家が講演とパネルディスカッションで意見を交わし、市民ら約60人が耳を傾けた。
 石田城(福江城)は江戸末期、近海を往来する外国船を監視するため、海を埋め立てるなどして築かれた「海城」。明治維新後に石垣や堀などを残して解体された。中井教授は講演で「軍事施設である城では、天守閣などの建築物よりも石垣や堀、土塁といった土木施設に本質的価値がある。その多くを残す石田城は、近世城郭では希有(けう)な事例で、破壊を防ぐことが必要だ」と述べた。
 また「五島列島ジオパーク推進協議会」の細田一郎専門員は、地質的な視点から石田城の石垣について言及。主に溶岩が冷え固まってできた「玄武岩」、一部に「砂岩」などが使われており、いずれも城跡近くの海岸で採れる岩石という。この説明を受けた中井教授は「(城跡の外の)武家屋敷通りにも石垣が築かれているが、本土の城下町ではあまり見られない。玄武岩や砂岩など、城の近くに石垣に使う石が豊富にあったからこそ、石田城や城下町ができたと言えるのではないか」と考察した。

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