箱根登山鉄道の軌跡(12) レールがつなぐ縁

姉妹鉄道の締結式で握手する箱根登山鉄道の古瀬幸悦社長(右)とレーティッシュ鉄道のJ・ハッツ専務。当時は「レーティシェ」と表記していた =1979年(箱根登山鉄道提供)

姉妹提携(1979年)

 箱根湯本-強羅間が開通してちょうど60年たった1979(昭和54)年6月1日、箱根登山鉄道(小田原市)は同社とゆかりの深いスイス・レーティッシュ鉄道と姉妹提携を結んだ。箱根町で催された締結式では、鉄道技術情報の交換や相互の親善・親睦を深めていくことを確かめ合った。

■山岳鉄道の本場

 レーティッシュ鉄道の前身であるベルニナ鉄道はスイス東南部を走り、イタリアまでの世界的な観光地をつなぐ世界有数の山岳鉄道。地理的条件が箱根と似ているため、小田原電気鉄道(現箱根登山鉄道)は急峻(きゅうしゅん)な山岳地帯に新線を開通する際、ベルニナ鉄道に派遣した主任技師長の調査研究を基に「粘着式」という運転方式を東洋で初めて採用した。

 これによって出山、大平台、上大平台の3カ所にスイッチ・バック線が設けられ、急勾配は緩和された。いわばレーティッシュ鉄道の技術は「天下の険」を走る新線の「生みの親」ともいえる。

■駅名板の寄贈も

 姉妹提携してから、両社の交流は活発になった。提携から4年目の82年、レーティッシュ鉄道から金色のカウベルが寄贈された。友好の証しは今も強羅駅のホーム頭上に飾られ、駅舎もスイスの山小屋風だ。

 84年には関係者をスイスから招き、同鉄道ベルニナ線の主要駅であるサン・モリッツ、アルプ・グリュム、ティラノ3駅の日本語の駅名板を寄贈した。日本人観光客の利用者が増加しているため、同鉄道からの希望で日本語の駅名板を贈ることになった。

 そして今年6月の姉妹提携40周年記念式典に招かれたレーティッシュ鉄道のレナート・ファスチアーティCEOは両国をレールで結ぶジオラマを、箱根登山鉄道の府川光夫社長は100年前の新線開通時に敷設したレールの一部などを寄贈した。

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