「観音崎」由来の像、33年ぶり復元 海蝕洞穴へ設置 横須賀

県立観音崎公園の海蝕洞穴に設置された観音像=横須賀市鴨居

 観音崎(神奈川県横須賀市鴨居)の地名の由来とされ、火災で焼失した観音像が33年ぶりに復元し、県立観音崎公園(同)で23日、お披露目式典が行われた。復元を目指してきた市民有志団体「観音崎プロジェクトの会」のメンバーら約200人が参加、節目を祝福した。

 観音像は高さ75センチ。観音堂に納められた上で、公園内の海蝕(かいしょく)洞穴に設置された。併せて、観音崎のいわれや観音像の歴史を紹介する看板、安全対策のための木製柵が立てられたほか、近くのレストランの中庭には御朱印台も設けられた。

 式典では、関係者らがテープカットなどを実施。除幕され、観音像が姿を見せると、会場では大きな拍手が上がった。

 同会共同代表の一人、藤木幸夫・横浜港運協会長は「浦賀水道の安全を願い、横須賀が一つになったのがこの像」と説明。上地克明市長は「観音崎の魅力が高まり、ますます訪れる人が増える。市としても今まで以上に支援したい」とのメッセージを寄せた。式典終了後、参加者は観音像に熱心にカメラを向けたり、合掌したりし、復元を祝った。

 観音像は、奈良時代の僧・行基が船の安全のため、十一面観音像を彫り、海蝕洞穴に納めたとされる。陸軍砲台の建造を機に、明治時代に近くの別の場所に移されたが1986年、原因不明の火災で焼失した。

 「無観音崎」となっていた現状を変えようと、地元選出の牧島功県議らが呼び掛け、同会が今年2月に発足。賛同する会員らから寄付を募るなど、復元に向け活動してきた。

 観音像の制作を担ったのは市内在住の仏師・梶谷叡正さんら。樹齢100年超の真鶴町産クスノキを使用、文献を基に、3カ月にわたる作業で十一面観音像を再現した。

 同会は今後、観音崎の歴史の検証や文化遺産の発掘、魅力発信などを行っていくという。

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