鮎川誠を起用!ロックバンドとしてのイエロー・マジック・オーケストラ 1979年 9月25日 イエロー・マジック・オーケストラのアルバム「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー」がリリースされた日

今から40年前 - 1979年9月にリリースされたイエロー・マジック・オーケストラのセカンドアルバム『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』。

世界のサカモト教授がピンク・レディーのヒット曲を解析して作った「テクノポリス」とか、クロサワ映画のサウンドトラックを想定して制作された「ライディーン」とか、マイケル・ジャクソンの『スリラー』に収録されるかもしれなかった「ビハインド・ザ・マスク」とか--

派手めのナンバーについてよりも、敢えて唯一のカバー曲であるビートルズの「デイ・トリッパー」に着目してみたい。

これ、ディーヴォがカバーしたローリング・ストーンズの「サティスファクション」に呼応する形で選曲されたのは明らかであり、従ってゲストギタリストには渡辺香津美ではなく、大村憲司でもなく、鮎川誠が呼ばれている(のちにシーナ&ロケッツのアルバムでは「サティスファクション」をカバー)。

鮎川誠の起用は、高橋幸宏との出会いに起因する。

75年、鮎川はサンハウスでアルバム『有頂天』をメジャーからリリース。

一方、幸宏は加藤和彦率いるサディスティック・ミカ・バンドでロキシー・ミュージックと全英をツアーして回り、その模様は『ライブ・イン・ロンドン』に収められた。

78年、エルヴィス・コステロの前座でデビューしたシーナ&ロケッツのステージを客席から観ていた幸宏は、パンク / ニューウェーブ華やかなりし当時、「どのバンドもカッコ良かった」「全員とやってみたかった」と回想しているが、鮎川について「そのルックスと存在感は抜きん出ていた」と述べている。

二人の出会いはまさに、サンハウス・ミーツ・ミカ・バンド、格好良くならない訳がない。

さて、国内でも指折りのストーンズフリークである鮎川誠とテクノロジーの関係を考えてみた時、想起する三冊の本が手元にある。

まずは、1992年に発売された、鮎川と作家山川健一との共著『ローリング・ストーンズが大好きな僕たち』。

そしてMacフリークを自認する山川健一がデッドヘッズ(グレイトフル・デッドの熱狂的なファンの総称)であるスティーブ・ジョブズらが自宅のガレージから作り上げた夢のマシンであるマッキントッシュを核に、アップル社の興亡をなぞりながら、来たるネット社会への警鐘を鳴らした『マッキントッシュ・ハイ』。

さらに、その山川と半ば張り合う格好で、マイクロソフト・ウインドウズと格闘しながら独力でホームページを立ち上げていく記録がリアルタイムでスリリングに記された鮎川の『DOS/Vブルース』。

この三冊の関係性において、何が面白いかと言えば、筋金入りのブルース、ロック好きの彼らが『ローリング・ストーンズが大好きな~』に収録された平成元年前後の対談では、70年代に流れてしまった曰く付きのストーンズ・ジャパンツアーが遂に実現する!という話題で持ち切りだったのに対し、5年も経たないうちにインターネットの荒波に取る物も取り敢えず飛び込み、熱中していく姿だ。

つまり、バンドマンとしての鮎川の嗅覚の前では、アナログかデジタルかは単にツールの問題でしかなく、興味があるのは自分を、そして聴衆をエキサイトさせてくれる現象なのだ。テクノとの邂逅も決してその域を出るものではない。

元々イエロー・マジック・オーケストラは、はっぴいえんど解散後 “シンガーソングライター”“田舎”“ニューオリンズ”“トロピカル”と、都度そのコンセプトを発展させつつソロ作品をリリースしてきた細野晴臣の一つの帰結として、マーティン・デニーの「ファイアー・クラッカー」をシンセサイザーでカバーしたシングルをアメリカでリリースし、400万枚を売り上げる!という細野晴臣の発想でスタートしたプロジェクト。

一見、ロックとは遠く離れた場所から始まったかに見えるそのプロジェクトに、ギター一本でセッション出来てしまう鮎川の柔軟な感性が加わった事によって『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』が従来のロックファンの耳にも、一枚の刺激的で新しいロックンロール・レコードとして届く結果に繋がったのは想像に難くない。

ともすればコンピューターのイメージに眩まされつつあったロックバンドとしての YMO の輪郭をも鮎川のギターが浮き彫りにしてしまったのではないだろうか。

カタリベ: キンキーとキラーズ

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