「介護に専念するために仕事を辞める」どうして問題なのか?

現在、年間約10万人の人が、介護や看護を理由に離職。その経済損失は6,500億円超(経済産業省)とも言われ、社会問題化しています。2025年には高齢者の5人に1人が認知症になると言われているいま、親を介護することのみならず、介護離職もまた他人事ではありません。

そこで、介護支援ビジネスを手がける株式会社リクシス副社長で、介護支援メディア『KAIGO LAB』編集長・酒井穣氏に介護離職の問題点と備えについて聞きました。


——リクシスは介護と仕事の両立支援を行ってらっしゃいますが、介護離職の何がいちばん問題だと考えますか?

どうしても理解してもらいたいのが、介護にも品質があるということです。高品質のサービスがユーザーの満足度を上げるように、高品質の介護は、介護される人の満足度を高め、介護をする人の負担を減らすことにつながります。

仕事を辞め、介護に専念をすることによって、経済的・肉体的・精神的負担はかえって増えることが知られています。介護の専門性を持たない素人が、いきなり親の介護をすることになれば、高品質な介護は難しいのは当然です。言いにくいのですが、「家族の愛」が、優れた介護の邪魔になることがあるのです。

——愛では救えませんか?

愛は大事です。しかし、三大介護と言われる排泄介助、食事介助、入浴介助の品質は、そこにどれだけの愛があるかではなく、ひとえに、介護技術の問題です。何事もそうですが、素人はプロの足元にも及びません。どういうわけか「介護だったら自分でできる」と考える人が多いのは不思議です。大切な人が困っているのだから、それを助けたいと思う気持ちはよくわかります。しかし例えば、糖尿病など、親の病気の状態に合わせて、美味しくて栄養のある料理をすることができますか?

——「子供が世話をするのがいちばん」という考えも根強いです。

私は、介護の目指すべき理想は「メガネ」だと考えています。

——メガネ、ですか?

ほとんどの人は意識していませんが、近視や老眼の方がかけているメガネというのは、視力に障害のある人の介護機器ですよね。国から障害認定を受けて利用しているわけではないけれど、メガネがないと生活ができない、生きていけないという意味で、メガネは立派な介護機器です。

でも、メガネをかけている人は自分が要介護の状態だなんて微塵も感じていないし、メガネをかけることに負い目もありません。自分好みのものを選び、ファッションとしても楽しんだりもしている。周囲もまた、メガネを使っていることを意識しません。

その意味で、メガネはものすごく成功した介護機器であり、目の障害というのは、人間がもっとも上手に、介護による適応を成功させた事例だと思います。

——なるほど。

メガネは発明されたのは13世紀後半のイタリアですが、当時は「悪魔の道具」と呼ばれていました。年をとって目が見えなくなるのは神のおぼしめしであり、それに抗おうとするのは神の意思に背く行為で、メガネは「悪魔の道具」だと。

その頃は、目が悪くなって、仕事を辞めなきゃいけないとか、活躍できないといったケースはいっぱいあったと思うんです。

——でも、現在では当たり前のものになった。

同じように、どんな状態であろうと、なんの負い目もなく支援を受けて、自分らしく生きられる、笑顔で過ごせるというのが本来あるべき介護の姿であり、目指すべきところです。それを念頭に置いて、考えてみて欲しいのです。

親の目が悪くなったら、あなた、会社を辞めるんですか?と。

——……辞めません。

認知症の介護が、メガネのような支援で成立するにはまだまだ時間がかかります。しかし、介護離職をするということは、目が悪くなった親に質の悪いメガネを渡すということかもしれないのです。親の立場からにしてみても、自分のために子供が犠牲になっていることを目の当たりにしながら、好きなアーティストのライブに行くとか、自分らしく生きられるでしょうか?

例えば、息子が仕事を辞めて自分のために帰ってきてくれた。1日目はすごく嬉しい気持ちになるでしょう。しかし、介護は10年といった長期に渡るものです。毎日毎日、慣れない手つきで料理を作り、必死で下の世話や入浴の手伝いをしてくれたとしても、息子は日に日に疲弊していくわけです。

そんな介護疲れでうたた寝している息子を起こして「ライブに行きたい」とか、自分の希望を伝えられるでしょうか? 愛があればこそ、言えないのが人間ですよね。

——親も子供に気をつかいますね。

「周囲に迷惑をかけながら生きている」と思うと、人は確実に衰弱します。

また、老いるということは、だんだんできないことが増え、恥をかくことも増えるものです。それに対して、昔の親の姿を知っている子供は「どうしちゃったの?お母さん」と嘆いたり、「私のお父さんはこんな人じゃない」「もっとちゃんとして!」と叱ってしまう。

親だって、そんなこと言われれば、「何この人、ムカつく」となりますよ。お互いに愛しあっているが故に失敗するということは、意外と多いのです。だからこそ介護には第三者としてプロが関わることが大事になってきます。

―プロに丸投げしろ、ということですか。

丸投げではなく、プレイングマネジャーになってはいけない、ということです。介護も仕事と同じ。一人で抱え込むよりも、周囲と上手に分担して、チームとして取り組んだほうが成果はでます。そのチームの中で、あなたはマネージャーになるべきです。実務は、専門性を持ったプロに任せたほうが良いでしょう。

熟練の介護のプロの場合は「はじめまして」とお会いしてから、今のその人に注目します。何が不快で何が心地よいのか。何を大事にしているのか。どんなことに興味があるのか。こうしたことをゼロベースで考え、観察し、上手にポジティブな方向で相手に寄り添います。結果、より心地よい環境が整い、穏やかで笑顔の多い日々が実現できる。

もちろん、介護のプロとはいっても、専門性のレベルはさまざまなので、注意が必要ですけどね。

―介護離職っていいことがひとつもありませんね。

介護離職のすべてを否定したいわけではありません。たとえば、親が終末期に入って、夢だった旅行をして、ゆっくり一緒に過ごしてあげたいと思う人もいるでしょう。介護休暇制度はあるけれど、小さな会社だと現実的に休みを取ることが難しく、会社を辞めざるを得ないということだってあるでしょう。

ただ、介護離職をした場合、再就職は難しく、運良く職場を見つけたとしても、収入は半減しかねないことと、介護には平均で月7~8万円の自己負担が発生し、それが10年以上続く可能性があることは想定しておくべきです。

仕事をしないでこれだけの期間を生きると、介護が終わったら、自分は生活保護になってしまいます。

―月7~8万円が10年以上……

それを節約しようと、自分で介護をしようとすると、精神的に追い詰められ、今度は、虐待のリスクが高まってしまいます。もちろん、要介護認定の申請をして、ケアマネジャーとも相談した結果、自分以外に介護する人がいないというなら仕方ないかもしれません。

ただ、もし「会社を辞めたい!」という気持ちが先にあり、介護をその言い訳にしようと考えているのなら、とても危険です。働いていれば理不尽なこともたくさんありますし、辞めたくなることもあります。でも、そこはちゃんと問題を切り分けて冷静に考えるべきです。

―冷静な判断のために必要なことは何ですか。

誰かに相談をしたり、SOSを出すことが重要です。SOSを出さないと情報が入ってこないし、助けてももらえません。結果、介護をする人もされる人も不幸になる、ひどい品質の介護になってしまいます。

「親のために身を粉にしてがんばる私」というヒロイズムに酔えるのは、せいぜい数か月です。10年以上続くのも普通な介護に必要なのは、そうしたヒロイズムではなく、具体的で効果のある課題解決なのです。

酒井穣(さかいじょう)
株式会社リクシス取締役副社長 CSO、介護メディア『KAIGO LAB』編集長・主筆、新潟薬科大学生命産業創造学科客員教授。
1972年、東京生まれ。慶應義塾大学理工学部卒。Tilburg大学経営学修士号(MBA)首席取得。商社にて新規事業開発に従事後、オランダの精密機器メーカーに光学系エンジニアとして転職し、オランダに約9年在住する。帰国後、フリービット株式会社(東証一部)の取締役(人事・長期戦略担当)を経て、2016年に株式会社リクシスを創業。著書はベストセラーとなった『はじめての課長の教科書』や『ビジネスパーソンが介護離職をしてはいけないこれだけの理由』(いずれもディスカヴァー・トゥエンティワン)など多数。

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