エンタメの横顔 — 音楽業界における「タイアップ」CM篇 ① 1982年 4月1日 山下久美子のシングル「赤道小町ドキッ」がリリースされた日

80年代音楽マーケットの風物詩とも言える、資生堂 vs カネボウ化粧品の CM 合戦。70年代半ばには始まっていたようですが、その頃はまだのどかで、カネボウは専らフレンチポップスを使ったりしていました。そのあたりで記憶に残るのは、資生堂の77年春のキャンペーンソングだった尾崎亜美「マイ・ピュア・レディ」くらいかな。

78年夏の、資生堂:矢沢永吉「時間よ止まれ」、カネボウ:サーカス「Mr. サマータイム」あたりから対決ムードが熱を帯び、化粧品を売るのが目的ながら、どちらの曲をよりヒットさせるかという、音楽業界を巻き込んでの “合戦” が、季節ごとに繰り広げられるようになっていきました。

そして、カネボウの82年夏キャン・イメージソングとして起用されたのが山下久美子「赤道小町ドキッ」。私はその原盤制作ディレクターでした。

以前も書いたのですが(“まるでシンデレラ・ストーリー「赤道小町ドキッ」CMタイアップ篇”)、この頃はまだ真っ当だったと言うか、広告代理店の人から丁寧にご提案をいただき、作品の候補として少なくとも3曲と言われ、4曲のデモテープを提出し、完成後は全国の販売店を招いての盛大な発表会にも招かれ、その後はもちろん大キャンペーンの展開と、これぞタイアップ事業のあるべき姿と言えるくらい、気持ちよく仕事が進んでいきました。そして最後に、作詞・作曲者に対する「許諾料」も、少額ながらきちんといただきました。

本来なら、CM を放送する際に著作権使用料が発生しますが、これはかなり高額(地域や時間帯によって違いますが、1回数千円~の単位)で、本数が多いと相当な金額になってしまいますので、JASRAC に楽曲を著作権登録する際に、この CM 放送に限って免除という申請をしました。「CM で流れてその分売れる可能性があるから使用料はおまけ」ってことですね。

企業にとっては、制作費や著作権使用料もかからず、僅かな許諾料だけで、イメージソングが手に入るし、アーティストサイドにとっては、タダで、テレビやラジオなどで曲を宣伝してもらえる。と言うかテレビでバンバン、スポットを打ちまくるような宣伝戦術は、アイテム数の多いレコード会社にはそもそもありえませんでした。どちらにもメリットで、これがタイアップの正しい形と言えるでしょう。

おかげで「赤道小町ドキッ」はオリコン2位とヒット、「ザ・ベストテン」にも何度か出演し、山下久美子はこれにより、大きく知名度を上げることができました。

1曲があまりにもヒットしてしまうとあとがやりにくい、なんてこともありますが、やはりアーティストにとってヒット曲があるかないかは大きな違いです。1曲ヒットがあるだけで数年はひっぱれるし、その後低迷したとしても、何かのきっかけで再び注目が集まることも多い。新商品も半年も経てば古くなる、化粧品などの流行消耗品などに比べれば、タイアップでより得をするのはアーティストのほうかも知れません。

それに味をしめた音楽業界は、以来、これもあれもと、タイアップを求めて殺到するようになっていきます。するとたちまちバランスは崩れ、きれい事を言ってる場合じゃなくなり、間に入る広告代理店の連中は悪ノリして、著作権使用料免除はあたりまえ、許諾料も忘れられ、「企画協力費」なんて名目でアーティストサイドがそれ相当の献上金を差し出すのも、半ば常識化していきました。

宣伝費と考えれば、そこにある程度の金を払ってでも、とレコード会社は考えたのでしょう。しかし、ひとつひとつ丁寧に、企業とアーティストサイドがいっしょになってヒットを目指すということをやらないと、やはり大きな成功には結びつきません。“粗製乱造” と言いたくなるような、猫も杓子もタイアップみたいなありさまでは、ほとんど話題にもなりません。

それなのに、今に至るまで、タイアップ頼みは続いています。もはや、タイアップでもついていないと、販売店が CD を仕入れてくれないという状況になっているからです。「貧すれば鈍す」とはこういうことですかね。情けなくて、哀しい話です。

ただ、企業 CM とのタイアップは、まだ平和なほうなのかもしれません。テレビ局との主題歌や挿入歌のタイアップに比べれば……。

つづく。

カタリベ: 福岡智彦

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