お殿さまだったご先祖たちの首がずらり―。リアル過ぎる表情の造形に一瞬びっくりするこの光景。「常在戦場」を家訓に掲げたことで知られる長岡藩(現在の新潟県長岡市域)の藩主牧野家の歴代の顔を、残されている頭蓋骨の模型から立体的に復元するプロジェクトの成果だ。現在も進行中のこのプロジェクト、東北大や佐賀大などの教員ら約15人が参加している。コンピューター断層撮影装置(CT)や3Dプリンターを駆使し、再現度はかなりのもの。実際に見た人からは「リアルすぎてさらし首みたい」との声も。まとめ役は新潟医療福祉大の奈良貴史教授(自然人類学)。「昔の人の細かな顔つきは、文字に残らない歴史の一こま。骨から事実を解き明かしたい」と意気込んでいる。
▽4人の顎、なぜ細い?
復元されたのは18世紀半ばから19世紀半ばにかけて活躍した6代忠敬(ただたか)、7代忠利(ただとし)、それに幕府で老中を務めた10代忠雅(ただまさ)の3人の藩主と9代藩主の長男忠鎮(ただしず)。顔からは似通った特徴が読み取れる。高い鼻に大きな目、ほっそりとした顎がそうだ。実は、細い顎は当時の身分の高い人に特有とされる。火の通った米やほぐした魚など、軟らかい食べ物を幼少期から食べ続けることが一因で形作られるという。
忠雅は特に顎が細いのが印象的だ。奈良教授によると、墓地からは歯が見つからなかったため、歯のない状態で再現したのでここまで細くなってしまったのだという。入れ歯を使っていた可能性があるとして、「入れ歯ありでも復元し、比較できるようにしたら面白い」。江戸時代には木製の入れ歯が既に使われていて、墓地から見つかるケースもある。忠雅の墓地からは見つからなかったが、発見済みのものを参考にできると話す。
▽肖像画は参考にせず
東京都港区の一族の墓地を1982年に長岡市へ移転する際、状態の良い遺骨を模型にして保管したことがプロジェクトのきっかけ。2013年には国立科学博物館が5代忠周(ただちか)の顔を復元している。
チームはCTを使って、遺骨の模型から詳しいデータを取得。それを基に3Dプリンターで複製を作った。日本人の顔の肉付きに関する過去の文献や独自に計測したデータに基づき、筋肉や脂肪、皮膚などを粘土で再現した。肖像画など本人の特徴が分かる資料はあえて参考にしなかった。
現在は非公開だが、過去の学術集会や一般向けシンポジウムで何度か披露しており、今後も定期的に公開する予定という。牧野家の17代当主で、復元された頭部を保管する牧野家史料館の牧野忠昌(まきの・ただまさ)名誉館長(77)は、さらし首のように見られるのを避けるため、展示の際は服を着せるなどの工夫が必要と考えている。「見かけた際は、お殿様のりりしい表情を想像してほしい」と話す。
奈良教授らは模型がある4代忠寿(ただなが)の復元も進める予定。さらに、頭蓋骨の顔の部分が半分くらい残っていれば状態が悪くても復元できる可能性があるとして、過去に模型を作らなかった遺骨の再調査も検討中だ。
▽取材を終えて 親しみ感じる精巧さ
遠い過去の時代を生きた人々は、どのような声で話し、笑い、日々の生活を送ったのだろう。そうした疑問を抱いたことがある。復元されたお殿様の顔は無表情。それでも、今にもにっこり笑って話しかけてくれるような親しみを感じた。額のしわや目の下の陰影に、本人の「生き方」まで反映されているような精巧さ。時代を飛び越えて、昔の疑問に少しだけ答えが見つかった気がした。(共同通信=七井智寿)
※歴代藩主の名前の読み方は、史料館によると漢字の資料しか残っていないため明確には分かっていません。名誉館長の牧野さん一族で代々使っている呼び方が最も正確なものに近いとしているのに従い、記事ではそれぞれ「ただしず」「ただなが」などとしています。