沢田研二のアルバム「ストリッパー」に参加したロッキンギタリスト初来日! 1981年 6月10日 沢田研二のアルバム「ストリッパー」がリリースされた日

なんと、あのロックパイルのメンバーだった、ビリー・ブレムナーが、元 NRBQ のメンバーを中心に結成されたスパンピナート・ブラザーズのゲストとして、この10月に来日するという話を聞いた。

ロックパイルといえば、打ち込みやデジタル機器が導入された1980年代にあって、ルーツ・ミュージックやオーソドックスなロックンロールをプレイしていながら、そのノリ方がちゃんと新たな時代に適応していた稀有なポップロックバンド。それを率いていたニック・ロウやデイヴ・エドモンズに隠れてはいたが、名ギタリストであり、「ハート」での熱唱で知られていたのが、このビリー・ブレムナーだった。

今日はそのビリーと、ラッキーにも、かつてレコーディングを共にすることができたという忘れらないお話を!!

僕の音楽人生が80年代になって花開いたのは、何と言っても沢田研二さんのシングルやアルバムをアレンジさせていただいたことが大きい。アルバム『G.S.I Love You』で全曲の編曲をさせていただいただけでもラッキーだったのに、なんと続くアルバム『ストリッパー』でも僕に編曲の依頼が来た時は本当にびっくりだったね。

しかもレコーディングはロンドン、それもストレイ・キャッツやエルヴィス・コステロやロックパイルがよく使っていたエデン・スタジオ(Eden Studio だから正確にはイーデン・スタジオ)で行われ、僕も現地に同行できるという大幸運!! もううれしくてうれしくて武者震いが止まらなかったものだった。

『G.S. I …』では “GS のニューウェイブ解釈”、そして今回は “ネオ・ロカビリー” が、加瀬邦彦さんたちの狙ったコンセプト。それで今回の場所が選ばれたのだった。

しかもエンジニアは、ストレイ・キャッツやロックパイルと同じアルド・ボッカが担当。そして沢田さんのバックを務める、結成したてのエキゾチックスが同じく渡英して演奏するのだが、せっかくだから現地のミュージシャンにも参加してもらおうとなって楽しみにしていたら、助っ人ギタリストとして来てくれたのが、なんとビリー・ブレムナーだったのだ。

スタジオに着く前はデイヴ・エドモンズが参加するらしいと聞いていたので、ビリーが代わりに来た時には、正直ちょっとがっかりしたのだけれど、レコーディングが始まると、そんなセコイ気持ちは吹っ飛ぶほど、ビリーのプレイはテクニックもフィーリングも素晴らしくて、思ってた以上に、サウンドがロッキンにブラッシュアップされた。

レコーディングの合間に、我が敬愛するロックギタリストの元祖、ジェイムス・バートンの話題になると、あの「ハロー・メリー・ルー」や「ミステリー・トレイン」などのジェイムスのフレーズをひょいと気軽に弾いて聞かせてくれた時はもう天にも昇らん気持ちだった。その時すばらしい!とほめたら彼曰く「アルバート・リーは僕の10倍はうまいよ」と照れてたのが今だに印象に残ってる。

その後マイク&ザ・メカニックスのヴォーカルでブレイクするポール・キャラックもコーラス参加してくれたのは今思えばラッキー。

僕は決して完璧に英語を話せるわけではなかったけれど、初めての海外レコーディングにも関わらず、大好きな「ロック音楽」という共通言語のおかげで、ビリーとそしてエンジニアのアルドとも、体当たりのコミュニケーションを取ることができたことは、大きな自信となり、その後の僕の「目指せ、洋楽!!」的な音楽制作に大いなる力を与えてくれたことは間違いない。貴重な体験をさせてくださった沢田さんには本当に感謝感謝なのだ。

覚えててくれたらうれしいけど、たぶんビリーは僕のこと覚えてないだろうなあ。一方的に僕の方から旧交をあたために、ライヴに行こうかと今思案中なのである。

カタリベ: 伊藤銀次

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