めんたいロックじゃ括れない!博多ビートグループの研ぎ澄まされた音楽性 1982年 9月22日 ザ・モッズのサードアルバム「LOOK OUT」がリリースされた日

「音が言葉よりも痛かった」とは、83年、ザ・モッズが当時ロックバンドとしては異例でカセットの CM 出演をした時のキャッチコピーだが、博多のビートグループのサウンドはまさにこの言葉が相応しい。カミソリの刃を素肌に充てた時のようなヒリヒリとした痛み。この感覚は今も自分の中にある。

このような感覚知ったのは、僕だけじゃないはずだ。にもかかわらず、マスコミは彼らを総括して “めんたいロック” という言葉を用意した。この言葉を素直に受け入れることができない。しかし、この言葉によって十代の自分が博多出身のビートグループの音楽に触れられたのかと思うと複雑な気持ちだ。

“めんたい” という地域性を内包するワードは、音楽的観点から見てもそれまで東京を拠点とし、メジャーシーンに浮上し活躍するバンドとの差別化であったことは言うまでもない。ではどこが当時メジャーシーンに浮上していたバンドと違っていたのか “めんたい” という言葉に隠された音楽性を紐解いてみたい。

博多のビートグループの主軸であったザ・ロッカーズ、ザ・ルースターズがレコードデビューを果たし、東京に進出したのは80年である。ちなみに78年「涙のハイウェイ」のシングルでデビューしたシーナ&ザ・ロケッツは79年にアルファ・レコードに移籍後、YMO のサポートによりアルバム『真空パック』をリリースし、後にはアメリカ、フランスなどでもこのアルバムはリリースされる。

つまり彼らは博多時代の直球ど真ん中のブルース、ロックンロールを下敷きにテクノポップという新たなエッセンスを取り入れ福岡発東京経由の最新型のロックンロールを試みたという点では他のビートグループと一線を画す点が感じられる。

80年にデビューし注目を浴びていたロックバンドをいくつか挙げてみると、当初はダウンタウン・ブギウギ・バンドのスタイルを踏襲し、その後、ポップかつキャッチ―、コミカルな歌詞と共にそれまでマイノリティだった不良少年たちの存在をメインストリームに浮上させた横浜銀蝿、稀有の音楽クリエイター、近田春夫を手腕により、当時最先端の音楽であったテクノポップをアイドル歌謡的な親しみやすさを抽入したジューシー・フルーツ、シンプルなロックンロールを基盤としながらも、後の大ヒットシングル「ff(フォルティシモ)」を予感させるような劇場型ロックバンドの可能性を孕んでいたハウンド・ドッグなどが挙げられる。

これらのバンドと博多のビートグループの相違点はどこかと考えると、東京で活躍していたバンドが音楽性の発信の仕方が両手を広げ(それが特定のファンであったとしても)ウエルカムというイメージだったのに対し、彼らは、どこかメジャーになることを拒むような不器用さが感じられた。媚びない姿勢というのか、自分たちが育った街で親しんできた音楽に忠実で、創作する楽曲の中にも、その匂いをふんだんに散りばめていたということだろうか。

つまり、マスコミが物珍しさで用意した “めんたい” という言葉の奥に潜んでいた音楽性は、東京出身の僕らではなかなか手の届かない、研ぎ澄まされ洗練された奥の深いものであり、東京ではない地方都市から発信されたアウトロー的な痛みも持ち合わせていた。

僕は、多少の後追いで彼らの音楽に夢中になっていったのだが、ザ・ロッカーズのプレイするラモーンズのスピードとニューヨーク・ドールズのグラマラスさ。ザ・ルースターズが打ち出す無骨な黒っぽいブルース・フィーリングなどなど、聴けば聴くほど新しい発見があり、彼らが親しんできた音楽を基盤として、自らの音楽的趣向を模索していった。

そんな80年にデビューしたザ・ロッカーズ、ザ・ルースターズに遅れて81年6月21日にファーストアルバム『FIGHT OR FLIGHT』でデビューしたのが今年結成40周年を迎え、現在進行形で活動中のザ・モッズだった。彼らの音源を初めて聴いたのは、土屋昌巳プロデュースのサードアルバム『LOOK OUT』からだった。

このサードはザ・クラッシュの『ロンドン・コーリング』さながらにファンク、ロカビリー、スカなどのエッセンスを織り交ぜながら、下地にある彼らのブリティッシュ経由のロックンロールを華麗にブロウアップした作品であったため、ファーストの重たさ、湿り気、地下室の扉を開いたような閉塞感がなかなか受け入れられなかった。しかし、彼らのルーツを紐解き、その下地となっている音楽に気づいた瞬間、フェイバリットなアルバムと変わっていった。

それはつまり、ブリティシュビートの憧憬からスタートしたバンドがパンクロックに衝撃を受け、自分たちに内包された怒りや、自分たちが一歩踏み出そうとしているときの焦燥、バンドとしての存在証明をどう打ち出していったかが1枚のアルバムに見事に体現されているということだ。“めんたい” という言葉では括り切れないドラマと音楽性。全10曲に秘められた当時の彼らの激情は普遍的なものとなり、今なお多くのロックフリークに語り継がれている。

そんな博多のビートグループに包括された音楽性、ロックンロールが本来持ち合わせている楽しさと激しさを一気に噛みしめることができる DJ イベント『博多ビートパレード』の第2回開催が決定した。彼らが80年代初頭、メジャーシーンへ殴り込みをかけたときのカミソリの刃のような研ぎ澄まされたビートを体いっぱいで感じることの出来るイベントになるだろう。当時の音を爆音で体感して欲しい。

カタリベ: 本田隆

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