キャッシュレスはもう古い?「プライスレスなレストラン」が誕生した理由

消費増税に伴う負担軽減策としてポイント還元が導入されたことをきっかけに、日本でも普及の兆しが広がり始めた、キャッシュレス決済。各決済事業者が還元率の上乗せキャンペーンなどを実施し、利用者の囲い込みが激化しています。

しかし、消費の最前線では、キャッシュレスの次を見据えた動きが出始めています。新たな「レス」の対象は「キャッシュ(現金)」ではなく、「プライス(価格)」です。

いったい、どんな動きなのか。先駆けて導入を決めた、東京都内のレストランを取材しました。


「温度」にこだわった隠れ家レストラン

東京・中目黒。都内有数の人気の街には、たくさんの料理の名店がひしめき合っています。この街の路地裏の一角、東急東横線の中目黒駅から歩いて3分ほどの場所に、目的の店がありました。

4階建てのビルの最上階。ビルの看板には店名の記載がない、まさに“隠れ家”といった雰囲気。10月1日にオープンしたばかりの「OND(オンド)」という名のこの店舗は、会員制で、フレンチでもあり、和食でもある、創作料理を提供しています。

ONDという店名の由来は「温度」。すべてのメニューに提供時や仕込み時の温度を組み入れて、コースを組み立てています。コースは1種類のみで、シェフにお任せ。コースの提供開始時間は19時と21時の2回、年内いっぱいは各回5人までの限定で運営しています。

温度が記された「OND」のコースメニュー

この情報だけでも、かなりのこだわりを持って運営していることが想像されますが、ONDの最大の特徴は料理の価格がいっさい決まっていないこと。料理を食べ終えた客が、その体験に見合った金額を後から支払うという仕組みになっているのです。

どうやって値段を決めている?

ONDが取り入れているのは、決済サービスプラットフォームを提供するネットプロテクションズが8月に発表した「あと値決め」という新サービス。同社の既存サービスである「NP後払い」をベースに、開発されたものです。

利用客は、入店までのタイミングで、住所・氏名・電話番号・メールアドレスといった個人情報を入力。後は、店内で料理や会話を楽しみ、そのまま店を出ればOK。すると追って、利用者のSMS(ショートメッセージサービス)かメールアドレスに、ネットプロテクションズから料金の入力フォームが届きます。

まずは、全体の満足度をパラメータで入力し、次の画面で3~4つの項目を微調整し、最終的に支払う値段を確定させます。具体的にいくら支払うのが妥当なのかがわからない人でも、一定の納得感を持てる仕組みにしています。

パラメータを調整して価格を決定

料金の入力には期限が儲けられており、利用客は3日以内に入力する必要があります。期限を超えてしまうと、最低価格で自動請求されるというのが、一連の流れです。

ネットプロテクションズは、こうした後払いサービスを2002年に始めた老舗。「NP後払い」は現在、4万社強が導入していますが、さらに認知度を高めるべく開発したのが、今回の新サービス「あと値決め」でした。現在は30社まで導入の輪が広がっているといいます。

なぜ「あと値決め」を導入したのか

ONDを運営するサンメレの多治見智高代表は「お任せで料理が出てくる店だからこそ、導入できた決済方法」と語ります。

同店で提供しているのは、1つ1つのメニューというよりも、お店でのトータルの体験。それに対して、利用客に料金を支払ってもらうビジネスモデルは、どちらかというと「コト消費」に近いと考えて、店のコンセプトを固めていったといいます。

「OND」で提供される料理

ターゲットは「ある程度、ごはんにお金を使うことをいとわない30~40代」(多治見代表)。しかし、ONDのようにコース料理のみを提供している高価格帯の店舗は、豊富な経歴を持ったシェフのいる店が大半。ONDの料理も、味については有名店に遜色ないという自信がある一方、スタッフの経歴という面では強気に出にくい不安もありました。

経歴や箔がない中で、どうすれば利用客が安心して来店してくれるか――。そう考えていた時に出合ったのが、「あと値決め」でした。

狙うは「高級店の門戸開放」

導入店舗にとってのメリットは、利用客の来店に対するハードルを下げられること。ネットプロテクションズの専光建志さんは、自らが責任者を務める新サービスについて、「行ってみたいけれど、価格のハードルがあったり、納得感のないモノやサービスを購入してしまわないかという不安に対して、利用者に一歩踏み出してもらうためのサービス」と説明します。

たとえば、家事代行の場合、実際に使ってみると便利だとはわかりつつも、支払う料金に見合ったサービスが受けられるのかという不安が、利用者には付きまといます。この点、「あと値決め」であれば、実際にサービスを受けてから、自分が納得できる対価を支払えば良いことになります。

これまでに導入している企業では、最低価格で支払う利用者もいるものの、最低価格を意識しながら、それよりも上の値段を付ける人もいるといいます。支払期限までに値決めしてくれるユーザーの比率は、全体だと80%を超えており、よほどでない限り90%を超えているそうです。

シェフとの会話も含めた、トータルのサービスで料金を決める客もいる

ONDの場合、最低金額と最高金額の幅は広く、7000~1万7,500円のレンジで支払われているようです。平均すると1万3,227円で、「ほぼ想定していたところでお支払いいただいている」(多治見代表)といいます。

がむしゃらにサービスを広げない理由

「キャッシュレスには事業者側のいろいろな思惑の部分があって、キャンペーンなしでも根付くのか、疑問の余地があります。明確に自分の生活が変わるという体験がないと、本当の意味では広がっていかないのではないでしょうか」。ネットプロテクションズの専光さんは、こう指摘します。

一方で、「あと値決め」の導入先をがむしゃらに増やそうという思いもないといいます。高品質で、顧客に向き合ったビジネスをしている企業でないと、運用が難しいと考えるからです。

ただ、逆の見方をすれば、これまでは試してみるには少しハードルの高かったモノやサービスが「あと値決め」を導入すれば、利用者の潜在ニーズを掘り起こせる可能性も秘めていそうです。

「ちょっと高級なものには、こういう後決めの価格設定のものが増えてくるかもしれない」(多治見代表)。ネットプロテクションズの新サービスは、日本人の価格に対する考え方に変化をもたらすでしょうか。

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