柱状節理や渡り鳥 貴重な自然残る 五島・男女群島  遭難救助者の子孫も参加「この島があるから私がいる」

男女群島近海の遭難者の慰霊碑に手を合わせる寺村さん(右)=五島市、女島

 長崎県五島市福江島の南西約80キロに位置する無人島、男女群島。市は8日、領土保全や水産資源の確保に重要な役割を果たす「国境離島」の現状を把握しようと視察ツアーを実施し、市職員や市議、市民ら51人が上陸した。記者も同行し、古くから屈指の豊かな漁場として知られ、貴重な自然が残る無人島の今を伝える。
 男女群島は男島や女島など主要な5島と岩礁で構成され、総面積は4.75平方キロ。全域が国指定天然記念物で、貴重な海鳥や渡り鳥の「宝庫」として鳥獣保護区にも指定されている。
 午前9時半、福江港を出港。沖はうねりがあり、「揺れる」というより「落ちる」感覚だ。好漁場とはいえ、危険と隣り合わせの漁へ繰り出す漁業者への敬意が湧く。取材には苦しい船旅となった。
 約2時間後、女島の東側にある船着き場に到着。波止に押しつけた船の先端から飛び降りた。崖がせり上がり、岩に六角柱状や五角柱状の割れ目が入った「柱状節理」が手の届く場所にそびえている。手付かずの自然に圧倒される一方、タイヤやポリタンクなど大量の漂着ごみが目につく。市職員は「素晴らしい環境を守りたいが、遠すぎて対策は難しい」とぽつり。
 辛うじてすれ違える幅の道を20分ほど歩き、女島灯台へ。辺りは古くから東シナ海を航行する船の要衝で、1927年に初点灯。旧福江航路標識事務所などの職員が住み込みで管理したが、2006年に自動化され無人となった。現在は長崎海上保安部や委託業者が年3回の定期点検に訪れている。
 付近はかつて、五島列島各地からのさんご漁船でにぎわい、外国漁船の乱獲で漁ができなくなった後も、富江地区にはサンゴ細工の技術が息づく。一方で悲しい歴史もある。明治時代の複数の台風では、計約2千人とも言われる漁業者らが命を落とした。
 1906年9月に高祖父の川原長次さん=当時(51)=を亡くした同市の会社員、寺村れいかさん(42)は慰霊のため視察に参加した。一方、長次さんの長男で寺村さんの曽祖父に当たる三吉さん=当時(20)=は男女群島に打ち上げられ、奇跡的に助かった。
 寺村さんは6年ほど前、父親から遭難の話を初めて聞き、行きたいと考えていたという。今回初めて上陸し、遭難者の慰霊碑に手を合わせた。「感慨深い。この島が曽祖父を助けてくれたから、今の私がいる」。寺村さんはそう語り、白波の立つ海を見詰めた。

女島灯台へ続く斜面の歩道から見下ろした船着き場(右下)。断崖の至る所で「柱状節理」を観察できる=五島市、女島
ヘリポートから見た女島灯台。南側(写真奥)には東シナ海の水平線が広がる=五島市、女島

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