「結核薬ベダキリンの価格引き下げを」——MSF、世界的キャンペーンを開始

製薬会社ジョンソン・エンド・ジョンソンの株主総会が開かれた日に合わせて行われた抗議のデモ=2019年4月 © Melissa Pracht/MSF

製薬会社ジョンソン・エンド・ジョンソンの株主総会が開かれた日に合わせて行われた抗議のデモ=2019年4月 © Melissa Pracht/MSF

国境なき医師団(MSF)は本日、製薬会社ジョンソン・エンド・ジョンソン(J&J社)に抗結核薬「ベダキリン」の価格引き下げを呼び掛ける世界規模のキャンペーンを開始した。薬剤耐性結核(DR-TB)の治療拡大を促し、より多くの人命が救われるよう、国・地域の別なく、この薬を必要とする全ての患者に治療1日あたり1米ドル(約108円)以下で提供されることを求めている。ベダキリンの開発にはMSFも含む多くの関係者の協力が寄与してきたという背景もある。MSFは、結核問題の関係者や他の市民団体とともに、米国、南アフリカ共和国、ブラジル、ベルギー、ウクライナ、スペインのJ&J社オフィス前で、ベダキリンが「1日1ドル」以下でDR-TB患者の手に届くよう求めるアピールを行った。 

税金と寄付によって開発された薬

「ベダキリンは税金と世界の結核関係者の尽力もあって開発されたものです」MSF必須医薬品キャンペーンのHIV/エイズ・結核顧問シャロナン・リンチはそう指摘する。「ベダキリン開発の貢献者であれば、薬価の設定について物申してもいいはずです。J&J社には、ベダキリンが全てのDR-TB患者の手が届く価格になるよう、1日あたり1米ドル以下の設定を求めます。私たちは価格が引き下げられるまで、後には退きません」

ベダキリンの開発は、多くの国の納税者や非営利団体に支えられて実現した。実用を推進したり、その治療効果を示したりするという重要な役割の大部分を、結核の研究者、各国保健省、MSFなどの治療提供者が担い、その資金は納税者や寄付者が賄ったのだ。世界の結核関係者が力を合わせて研究開発したにもかかわらず、多くの国でJ&J社だけがベダキリンの医薬品特許を保持し、販売できる国を選定する権利を独占している。その上、同社は米国食品医薬品局(FDA)から優先審査保証(PRV: Priority Review Voucher)(※)を与えられ、かなりの経済的な利益も受けてきた。PRVは同社の他の薬の販売承認にかかる期間を短縮することにも利用できるからだ。

※「顧みられない病気」のための優先審査保証(PRV)制度のもとでは、米FDAが対象となる薬剤やワクチンなどの関連製品を承認すると、その開発者にPRVが認められる。PRVを得ると、この開発者によるいずれの薬剤・ワクチンでもFDA審査の期間短縮に使うことができ、または他の組織に売却することもできる。売却額が3億5000万米ドル(約378億8715万円)にも上った事例がある。 

1日あたり25米セント(約27円)まで下げられる

2018年10月にもジョンソン・エンド・ジョンソンに対する抗議を示した © MSF

2018年10月にもジョンソン・エンド・ジョンソンに対する抗議を示した © MSF

J&J社が現在課している価格は、MSFが求めている価格の2倍に上る。結核の治療薬と診断ツールを調達するための仕組みGlobal Drug Facility(GDF)経由でベダキリン調達が認められている国には、半年間の治療コース分の価格が400米ドル(約4万3000円)と設定されている。しかし、英リバプール大学の研究者の試算によると、ベダキリンはもっとずっと低価格の製造・販売でも利潤が見込め、年間10万8000例以上の治療コース分を販売できれば1日あたり25米セント(約27円)まで下げられるという。1日当たり1米ドルの場合、たいていのDR-TB患者に必要な20ヵ月間の治療に用いられるベダキリンの価格は合計600米ドル(約6万5000円)になる。これに対し、J&J社が同じ治療期間分に課している現在の最低価格は、GDF経由で調達できる国に適用される約1200米ドル(約13万円)で1日あたり2米ドル(約216円)。他の国向けの価格設定ははるかに高い。この高価格は、ベダキリンが治療法に必要な複数の薬の1つでしかないことも踏まえると、DR-TB流行に苦しむ多くの国で普及拡大に大きな障壁となっている。

「ベダキリンで命が助かりました。注射薬も用いるそれ以前の治療ではさまざまな副作用を経験していたんです」。南アフリカ共和国カエリチャ地区で多剤耐性結核(MDR-TB)の治療を受け、2019年初頭に完治したノルドウェ・マバンドレラさんは話す。「ベダキリンに切り替え、回復もずっと早まりました。もう誰にもあんな目に遭ってほしくありません。J&J社のような製薬会社はベダキリン価格の吊り上げをやめるべきです。この薬は薬剤耐性結核に感染した人びとの命綱なのですから」

ベダキリンは、過去半世紀以上の間に開発されたわずか3つの結核新薬の1つ(残り2つはデラマニドとプレトマニド)。大半の国で採用されていたかつてのDR-TB推奨治療法では、1日20錠もの服薬を2年も続け、痛みの強い注射を毎日打ち、精神障害や慢性的な吐き気から聴覚障害に至るさまざまな重い副作用に耐えなければならなかった。そして、理想的と言い難いこの治療法の治癒率は、MDR-TB感染者の55%、超多剤耐性結核(XDR-TB)の感染者では34%に過ぎなかった。 

ベダキリンを用いた負担の少ない治療の速やかな導入を

ベダキリンを投与された人の治療成績向上を示すデータが結核関係者によってまとめられ、2018年にはそれに基づき世界保健機関(WHO)が、注射薬に代わる完全経口治療法の中核的な構成要素としてベダキリンの使用を勧告。ベダキリンの使用拡大は既に、HIV感染者や、XDR-TBの前段階の患者、XDR-TB感染者など、相対的に治療成績が低いと想定される患者にも有効性を示してきた。ベラルーシの例では、ベダキリンによる治療を受けた244人のうち96%がXDR-TBの前段階またはXDR-TBだったが、治療成功率は87%まで向上した。

「大勢の患者が聴覚と仕事と暮らしを失う姿を目のあたりにしてきました。注射の必要なつらい結核薬しか選べなかったからです」MSF必須医薬品キャンペーンの医療顧問ピラール・ウステロはそう話す。「今、ベダキリンが潮目を変えようとしています。DR-TB患者の手に届くようになれば、有害な副作用もなく、回復の見込みが高まるのです。この薬を、必要な人なら誰でもどこでも購入できる価格にしなければなりません」

WHOがMDR-TB治療の中核薬としてベダキリンの使用を勧告してから1年。各国の国家結核対策プログラムによるとベダキリンを含む治療法を受けた人は1万2000人に満たない。DR-TBの年間の発症者55万8000人(『結核グローバルレポート2018』)のうち推計80%にベダキリン治療が必要であることを考えると、微々たる数字だ。ベダキリンを用いた負担の少ない治療の速やかな導入には、J&J社が他の結核薬メーカーにジェネリック薬製造を認めるなどして手ごろな価格で広く流通させるほかない。 

MSFは30年前から結核対策に携わっており、非政府組織として最も多くの結核治療を提供する団体である。世界各国の保健当局とも協力しながら、慢性的な紛争に苦しむ地域、都市のスラム、拘留施設、難民キャンプ、へき地など、幅広く多様な環境下で人びとを治療している。2018年9月時点では、14カ国のMSFプロジェクトが2000人余りを新世代の薬で治療。うち633人には40年の空白を経てやっと開発されたもう1つの新薬であるデラマニドを用い、1530人にベダキリン、227人に2つの薬の併用による治療を提供している。

MSFはベダキリン普及のためのより長期的な解決策として、特許の壁の解消や、複数の製造者の参入を促すための活動も行っている。2019年2月にはインドで、J&J社の特許申請に対する元DR-TB患者2人の異議申し立てを支援。加えてインド政府に対し、DR-TBは公衆衛生上の緊急事態との認識のもと、強制実施権によって特許を無効化し、国内の結核薬製造者によるベダキリン供給を促進するよう求めている。こういった施策は患者たちが切実に必要とする医薬品の確保を妨げている特許の問題に有効な解決策となりうる。他の国もこれにならい、高い薬価を理由に強制実施権を発行することが期待される。 

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