エンタメの横顔 — 音楽業界における「タイアップ」CM篇 ② 1977年 3月25日 大瀧詠一のコンピレーションアルバム「NIAGARA CM SPECIAL Vol.1」がリリースされた日

【前回からのつづき】

前回の CM タイアップに続いて、“番組”タイアップについて書こうと思っていたのですが、もうちょっと CM のことで書いておきたいことが出てきました。

CM タイアップが登場する以前も、もちろん CM に音楽はつきものでしたが、それは「コマソン」と呼ばれていました。「コマーシャルソング」の略ですね。「レナウン」の “♪ ドライブウェイに春が来りゃ…” という「ワンサカ娘」(というタイトルだと、実は知らんかった)(1961年)とか、「ブリヂストン」の “ ♪どこまーでもゆこう、道はーきびしくともー…” という「どこまでも行こう」などは有名ですね。この両方とも作詞作曲した小林亜星さんや、それ以前には三木鶏郎さんが、コマソンの大家でした。

コマソンはあくまでも商品をアピールするために企業主導で作ったもの。そりゃ歌が有名になれば、商品のイメージアップや拡売につながるので、喜んだでしょうが、歌の独り歩きまでは考えていませんでした。

人々もコマソンはコマソン、通常の「レコード市場」とは別に見ていたと思います。たとえば先ほどの「ワンサカ娘」は、かまやつひろしや弘田三枝子が歌っていましたが、彼らにとってそれはあくまでも副業扱いで、そのディスコグラフィーには入ってないのです。

大瀧詠一はそんな価値観を変えた一人です。1973年、「三ツ矢サイダー」から初めて CM ソングを依頼された大瀧さんは、“副業” だとは考えませんでした。自身の新しい作品の一つとして、全力を尽くして作りました。なのでそうした CM 作品が何作か集まると、彼はそれをレコードとしてリリースすべく、いくつかのレコード会社にプレゼンしたのですが、いずれも「コマソンなどレコードにするつもりはない」と、応じてくれなかったそうです。後年、タイアップ、タイアップと目の色を変えるレコード会社たちが!…で、困った大瀧さんは、しかたなく自ら「NIAGARA」というレーベルを立ち上げたのです。

しかしやがて、商品を売りたい企業と音楽を売りたいレコード会社が、効率よく双方を宣伝する方策として、タイアップというやり方を思いつき、70年代後半から多用していきます。

たしかにそれは宣伝力という点では、双方の力が合わさって、コストを上げずに強化することができ、おかげでヒット曲が続出していくことになるのですが、一方、作品としての CM の内容においては、商品第一の企業と音楽第一のアーティスト&クリエイターの思惑が合致することはむしろ珍しく、往々にして相反します。で、それでもやりたいレコード会社とアーティストの間に軋轢が起こることもよくありました。

前回、山下久美子の「赤道小町ドキッ」の頃は「まだ真っ当だった」と書きました。たしかに仕事の運びはきちんとしていたし、関係性もフェアだったと思います。それでもやはり、タイトルはカネボウから一方的に与えられたもので、それを使わないという選択肢はありませんでしたし、もちろん歌詞も、万が一商品のイメージを損ねる表現があったりしたら直しを求められたでしょう。

またたぶん、NHK では歌えなかったと思いますし、資生堂はもちろん、他の化粧品メーカーに絡む仕事も、期間は憶えていませんが、当面 NG でした。たいした譲歩じゃないと言われるかもしれませんが、当時の私には、「売れるために犠牲にしなきゃいけないのかー」という気持ちが、少しはありました。

ところで、米国やヨーロッパでは、CM タイアップは少ないようです。日本では、曲の著作権登録の際に、CM 放送での使用料免除を申請できるのですが、それが米国や英国にはなくて(フランスにはあるようです)、そういうことも影響しているのかもしれませんが、何より、CM で使われる音楽は “商業的” であるということで、一段低く見られるので、曲のプロモーションにつながらないのだそうです。

ということは、日本人は、CM で使われる音楽だろうと、商売に魂を売った音楽だろうと、「一段低く見る」ことはない。…… これ、褒め言葉じゃありません。巷でよく聞こえてくる、耳触りのいい音楽だから、なんとなく買ってみるか…… という程度にしか、音楽のことを考えてない人が大勢いるということです。

音楽業界が猫も杓子もタイアップを得るためにアクセクしているし、タイアップがないと販売店が CD をろくに仕入れてくれないという現実が哀しい、と前回書きましたが、ひょっとしたら、音楽を音楽として純粋に愛でることをしない、日本人の国民性(?)にふりまわされているだけなのかもしれませんね。

そう考えると、タイアップ以前、CM 音楽はコマソンだったころのほうが、日本人はもっとマトモだったのかも? いや、ウブだっただけか…。

次回こそは、“番組” タイアップについて語ろうと思います。

つづく。

カタリベ: 福岡智彦

© Reminder LLC