フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドの先見性、マイケルよりも先を走ってた! 1983年 10月24日 フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドのデビューシングル「リラックス」がリリースされた日

人は慣れる生き物である。奇妙な光景も毎日みていると、当たり前になる。私の場合、歩きながら携帯電話でしゃべる人を初めて見たとき、「この人は気が狂ってるのか? 宙にむかって独り言をしているなんて!」と可笑しくてしかたなかった。本来は憧れられるべき携帯電話の所有者(90年代初めはそれがステイタスだった)がマヌケな輩に映ったのである。

そのとき、「これと同じ感覚をどこかで味わったことがあるなぁ」と思ったのだが、それが80年代初期のミュージックビデオだと気づくのにそんなに時間はかからなかった。

オペラやミュージカルを TV カメラの画角で切り取ると、えもいわれぬ違和感をかもし出すことは皆さんも同意してくれるだろう。舞台芸術はその空間に身を置き、ステージ全体を俯瞰して初めて理解できるものだ。大げさな動きや化粧衣装は、遠くの席からでもエンタメを味わえるように配慮した先人の知恵である。宝塚歌劇はいくらテレビで見てもその良さがわからない所以だ。

それまで音楽といえばコンサート映像しか見たことのなかった私は、80年代初期に ABC の『ルック・オブ・ラヴ』やカルチャー・クラブの一連のミュージックビデオに接したときに、カメラ目線で歌う彼らがヘンに見えてしかたがなかった。PV の撮り方もまだ手探りだった時期でもある。ジャーニー『セパレイト・ウェイズ』は特に酷かった。口をパクパクさせながらカニ歩きする姿のダサさ。高度な音楽センスをもつミュージシャンも、しょせん演技は素人だ。つたない映像が却って名曲のイメージを狭めてしまう。

そんな学芸会のような PV に食傷気味だった私に衝撃を与えたのが、フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッド『リラックス』のプロモだった。映画とみまがうばかりのクォリティで、当時はタブーだった同性愛の世界をまるで悪夢のように描き出す。当然、キリスト教徒の多い欧米では放送禁止になったが、東洋の小さな島国では堂々とオンエアされた。

プロデューサーはトレヴァー・ホーン。『ラジオスターの悲劇(Video Killed The Radio Star)』で MTV 時代の到来を予言したバグルスの中心人物である。彼は再び時代の予言者として LGBT の世界をいち早く表現した。

マイケル・ジャクソン『スリラー』の PV が公開されるのは1983年12月、日本で大々的に露出されるのは翌84年。フランキーの PV 登場はそれよりも早かったのである。そして我が国では、今やゲイがテレビのスターになっている。人は慣れる生き物なのだ。

※2016年1月14日に掲載された記事をアップデート

カタリベ: @0onos

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