自身のルーツ 現実と向き合う「一生懸命生んでくれてありがとう」 【連載】家族のかたち 里親家庭の今(5)

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 佐世保市の大学に通う太一さんは、4歳の時から里子として育てられた。18歳の誕生日を迎えた2月、ずっとかすみがかっていた現実と向き合うことになった。生みの親について、自身のルーツを知る決断をした。
 出自は幼いころから気になっていた。でも「聞いたらお母さんとお父さんを困らせてしまうかも」と幼心にちゅうちょしていた。生みの親について知っていることは、「病気がちだった」という漠然としたイメージ。17歳の時に、年が離れた実の兄がいるとは里親から聞いていた。いまさら知りたくもない事実が出てくる不安もあったが、知りたいという思いが上回った。
 その日は1人で児童相談所を訪れ、職員から生い立ちがまとめられた書類を渡された。実母は病気で育てることができなくなり、施設に預けられていた。その実母は太一さんが小学1年の時に亡くなっていた。1時間ほどかけ、しっかりと現実に向き合った。「仕方なかったんだな」。そう思うと同時に、生みの親へ特別な感情が湧いた。
 「一生懸命生んでくれてありがとう」
 里子の中には、事実を知ることで精神的に崩れてしまう人もいる。「もう一人母親がいることを忘れないで。生んでくれたお母さんのおかげで今、あなたがいるんだから」。ずっとそう伝えてきた里親の糸永真利子さん(59)は、家に帰ってきた息子のすっきりした顔を見て、ほっとした。
 自身のルーツを知った上で、太一さんに「家族」とは何かと取材で尋ねた。太一さんは少し考え、「本音が言え、いろいろ気にしないで生活ができるものですかね。血はつながっていなくても分かり合える環境があれば、それは家族だと思います」と答えた。
 実子と変わらぬ愛情を注いでくれた里親、本当のきょうだいのようにかわいがり、けんかもしてくれた3人の実子たち、そして生みの親への感謝-。多くの人に支えられ、生きてきた18年間。自信を持って振り返った。
 「この人生、素晴らしいなって思います」


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