郷土史の創作劇 熱演 対馬・浅海中 閉校控え最後の文化祭

劇「対馬 浅海物語」で、地名の「浅茅」と校名の「浅海」について解説する生徒=対馬市立浅海中体育館

 本年度末で閉校する対馬市美津島町の市立浅海(あそう)中(溝井洋三(ひろみ)校長、17人)で20日、最後の文化祭があり、全校生徒がオリジナルの劇「対馬 浅海物語」を初めて披露した。住民ら約100人が来場。生徒たちは、地名のいわれなど郷土の歴史を紹介する劇を熱演し、大きな拍手を浴びた。

 同校は1984年開校。対馬中部の浅茅湾(あそうわん)沿岸にあり、万葉集の和歌にも詠まれた浅茅山(あさじやま)(標高187.6メートル)を望む高台に立地する。生徒数は86年の122人をピークに、少子化や過疎化の影響で減少していた。
 「対馬 浅海物語」は、同校の武富京子教諭(54)が台本を書き下ろした。舞台演劇と事前撮影のドラマ映像を併せて上演する「映像劇」形式で、5部構成になっている。
 劇は舞台演劇で開幕。出演した生徒は会話しながら、古くは「麻生(あそう)」とも記されていた地域の呼び名に「浅海」という文字が当てられたのは江戸時代前期の元禄期という説を紹介し、「浅茅湾」の表記は大正時代に成立したと説明した。
 浅茅湾(あそうわん)と浅茅山(あさじやま)で読みが異なる理由は奈良時代の万葉集が根拠と指摘。「どうやら『アソウ』って音では和歌にぴったりこなかったんだ。そこで『アソウ湾』を歌に詠む時に『アサジ』と濁ったらしい」と解説した。
 第2部以降は、対馬にまつわる神話「海幸彦と山幸彦」や、奈良時代の遣新羅使(けんしらぎし)に扮(ふん)したドラマ映像も交えて上演。第4部では、浅茅湾の情景を詠んだ万葉歌「百船(ももふね)の泊(は)つる対馬の浅茅山(あさじやま)時雨の雨にもみたひにけり」も紹介した。
 終幕では、生徒同士で「浅海中ってすごくない? 昔の人たちの思いがいっぱい詰まったこの場所にあるちゃもん」「ずっと忘れずに思い出そうね。俺たち、最後の浅海中の生徒やけんね!」と語り合った。観劇した住民の中には感動してすすり泣く人もいた。
 文化祭実行委員長で、ドラマのナレーションを務めた3年の原田蓮華さん(15)は「劇に取り組んだおかげで自分たちの地域について発見し、素晴らしい所に住んでいることを知った」と感謝していた。
 「対馬 浅海物語」は、来年3月の閉校式でも再演する。

「対馬 浅海物語」のドラマ映像で、海幸彦と山幸彦を演じる浅海中生徒

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