続く自問 「里親ではなくなった後も、できることはなかったのか」 【連載】家族のかたち 里親家庭の今(8)

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 長崎県内に暮らす専門里親、啓子さん=70代、仮名=は10年ほど前、中学1年の男子生徒を預かった。児童相談所が、児童養護施設育ちだった彼に「家庭のぬくもりを知ってほしい」と、受け入れを打診してきたのだ。
 見た目はおとなしそうで、かわいらしい少年。彼には施設に入所していた時から親友がいた。啓子さんと暮らし始めてからも毎週末、その親友と一緒に公園や神社で夜まで遊ぶことが多かった。ただ、気は優しく、他人に迷惑を掛けることはない。「必ず帰宅する」という約束を守ることを条件に許していた。
 ある土曜の夜、彼が「(親友宅に)泊まりたい」と電話してきた。啓子さんは「帰って来なさい」と伝えたが、戻って来なかった。それから1週間ほど帰らず、捜して回った。今思えば「その友人も一緒に家に招くなど(帰って来させる)手段はいろいろあった」。ただ、当時はそこまで考えが及ばなかった。昼間に親友宅にいたところを発見。そのまま里親委託が解除されることになった。わずか5カ月だった。
 彼のその後については、「中学は卒業したはず。仕事は長続きせず、長崎で職を転々としているみたい」と人づてに聞いていた。そして、5年ほど前、悲しい話が耳に届く。「関西方面で亡くなったようだ」。理由は分からない。でも「きっと孤独で寂しかったんだろう」と思う。
 周囲に彼を支えてくれる人がいなかったのか、里親ではなくなった後も彼にできることは本当になかったのか。「どういう形でもいいから頼ってくれていたら話を聞いてあげることくらいはできたのに」と今も悔やんでいる。
 啓子さんは数年前、彼と同じように外泊が続いたという理由で、ある女子高生の里親委託を解除された。過ごした期間も同じ5カ月。経過が似ている上、彼よりも周りに頼れる人がいないため、彼女の将来を心配する。「彼女を受け止めてあげたい気持ちは変わらない。何かしてあげられることはないのだろうか」。自問を続けている。


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