スーパーフォーミュラ:DOCOMO TEAM DANDELION RACINGの村岡監督が勇退を宣言

 10月27日、全日本スーパーフォーミュラ選手権第7戦鈴鹿の決勝レース後に行われた2019年チャンピオンの記者会見の場で、DOCOMO TEAM DANDELION RACINGの村岡潔監督が「ウチは体制は変わりました」とチーム代表から勇退したことを明かした。

 兵庫県に本拠を置くDOCOMO TEAM DANDELION RACINGは、1989年にチーム設立。1993年からは全日本F3選手権に参戦を開始し、トヨタ・エクシヴを走らせたJTCC全日本ツーリングカー選手権の活動を経て、1999年から当時の全日本選手権フォーミュラ・ニッポンに参戦した。

 その後、チームはリチャード・ライアンと服部尚貴を擁した2004年に、ライアンが初のドライバーチャンピオンを獲得。プライベーターながらトップチームのひとつに成長し、伊沢拓也と塚越広大を起用した2012年には初のチームチャンピオンも得た。

 チーム創立当初から、携帯電話大手のNTTドコモがパートナーとしてチームを支えており、これまでも高速でレースを戦うマシンとの通信実験をともに行ったりと、スポンサー以上の関係性で結ばれている。チームのカーナンバーも、かつては『68』=『mova』、『40』=『FOMA』、『5』=『5G』とNTTドコモが展開してきたネットワークにちなむ。また、近年はホンダの重要ドライバーを乗せるチームのひとつだった。

 そんなDOCOMO TEAM DANDELION RACINGは、山本尚貴のチャンピオン獲得こそならなかったが、山本と福住仁嶺の活躍で、2019年はチームチャンピオンを獲得した。2012年以来二度目のことだ。

「素晴らしいレースを一年間戦ってのチームタイトルなので、これ以上のことはないですし、ファンの皆さん、ずっと応援してくださっている協賛企業さんの存在があってこそです。我々はインディペンデントなチームで、ある一定の時期からホンダの若手ふたりを預かって戦ってきました。タイトルは2回目ですが、やり甲斐も感じています」と村岡監督は記者会見で語った。

「最後のレースで、尚貴がチャンピオンを獲れなかったのはチームの責任ではありますが、やり切ったと思っています。この週末を通してウチのクルマに速さがなかったのが残念ですし、いちばん辛かったですね」

 村岡監督はさらに、チームが30年を迎え、フォーミュラ・ニッポン/スーパーフォーミュラ参戦が20年を迎えたことを振り返りつつ、「私が会社を作って独立して、30年になります。当然、強豪になることを目指してそうなりましたが、昔は1ポイントを獲るのに何年かかったかという状況だったんです。そういうことからすると歩みが遅く、時間も手間もかかりました」と語った。

 そして途中で涙を交えながら、会見の最後に村岡監督はサプライズでこう“勇退”を切り出した。

「ウチは体制が変わりました。社長も監督も代わりましたから、(私が)表舞台に出るのはこれが最後になると思います。チームは新しい世代で変わっていくと思いますので、ぜひ応援していただきたいと思います」

 ピットでテレビカメラが向くと、必ずポーズを決めてくれるなどスーパーフォーミュラでは“名物監督”だった村岡監督。チームチャンピオンを獲得しての勇退を祝福したいが、ファンとしてはやはり寂しいところもある。

スーパーフォーミュラ第7戦鈴鹿のレース後、チームチャンピオンの記念撮影が村岡潔監督を中心に行われた。
2010年フォーミュラ・ニッポン FN09・ホンダをドライブする伊沢拓也(DOCOMO TEAM DANDELION RACING)
2014年スーパーフォーミュラ SF14・ホンダをドライブする野尻智紀(DOCOMO TEAM DANDELION RACING)

© 株式会社三栄