映画「青春の門」の衝撃! 激動の昭和記と山崎ハコ「織江の唄」 1981年 1月15日 映画「青春の門」が劇場公開された日

半世紀以上の歴史を誇った蒲田の映画館 “テアトル蒲田” と “蒲田宝塚”。この2館が2019年夏に閉館したというニュースを最近知った。

ショックだった。地元民としてかなりのショックだった。

なんでも蒲田最後の映画館だそうだ。私は蒲田に映画館が存在したことすら忘れ、とっくに無いものだと思っていた。昭和30年開館とも言われる、昭和の風俗を映画で綴ってきた偉大な娯楽スポット。SNS には閉館を惜しむ声が相次いで寄せられたらしい。

かつて松竹蒲田撮影所があったことでも知られる蒲田。虹の都であり、光の港であり、キネマの天地と歌われた蒲田。

そういえば蒲田で観た映画なんてあったっけと考えた時、まず頭に浮かんできたのは、杉田かおるの初々しくもダイナマイトな白パンツ一枚のヌード姿だった。そうだ!私の親同伴なしの映画初鑑賞は『青春の門』だった!

1981年当時、蒲田には映画館が10件近くあった。あれは確か高校模試の帰り道で、映画でも観ようなんて友達と浮かれていたのだろう。そこでつい選んでしまったのが『砂の器』と『青春の門』の二本立てであった。中学女子が選ぶには渋すぎるセレクトだ。なぜそんな選択になったのか。

① 他に中学生向けアイドル映画がなかったから。『青春グラフィティ スニーカーぶる~す』は公開直前だった。
② 映画のテーマソングとして、山崎ハコ「織江の唄」が、正月からテレビCM でばんばん流れていて刷り込まれたから。
③ 大好きだったラジオ番組、ロイ・ジェームスの『不二家歌謡ベストテン』で「織江の唄」がスポットライト的に取り上げられ、好きになったから。
④ 当時スターだった紳助・竜介が漫才で「“抱いてくれんね、シンスケしゃん” て、なんぼでも抱いたるわ」とネタにしていて爆笑したから。

まあ、理由は以上で全部だと思う。

『青春の門』は、五木寛之が1969年から今なお書き続ける自伝的ベストセラー小説。1975年に田中健&大竹しのぶコンビで初映画化。私が観たのは1981年版、佐藤浩一&杉田かおるバージョンだ。ちなみに佐藤浩一の映画デビュー作である。

福岡県筑豊に生まれた主人公、伊吹信介(佐藤浩一)の生い立ちから上京するまでを描く激動の昭和記。他出演は、明日の命をもしれぬ炭鉱地帯で仲間と共に働き抜く父・菅原文太と強く美しい義母・松坂慶子。義母に想いを寄せ、父亡き後に後見を引き受けるヤクザの親分・若山冨三郎だ。

とにかくこの3人のずっしりとした存在感と熱量がすごくて目が釘付けだった。全く知らなかった日本の歴史や貧しき人々の群れ、自由を求めて戦った民の熱い血に心がたぎった。文太が仲間を救うためダイナマイトを背負ってヤマに突入した時の咆哮よ!文太と松坂の命がけのような濡れ場よ!私は目を血走らせながら観ていたかもしれない。

「織江の唄」の織江とは、主人公、信介の幼なじみの名前だ。演じたのは杉田かおる。母の死により、小倉のキャバレーに身を沈める織江。信介は小倉に織江を訪ねていき、その夜、薄汚い安旅館で初めて織江を抱くのだった。

このシーンがまた切なさと驚愕と生々しさに満ちて、女子中学生にはさらに衝撃でねえ。酒を飲みながら「これが私の仕事だから。でも信介ちゃんならいい」と悪ぶってみせる織江。服を脱ぎ、思い詰めたように柔肌をさらす織江。杉田かおるは相当の覚悟で役に挑んだのだろう。ちなみに「鳥の詩」でヒットを飛ばすのは、この半年後である。現在では信じられないスケール!

だが残念なことに、映画中「織江の唄」は流れなかった。音楽は全編山崎ハコが担当し、クレジットではサブテーマとなっていたものの最後までスルーだったのだ。聴きたかった私、涙目…。

実は、山崎ハコがシングルのB面として同曲をリリースしたのは1979年。原作者の五木寛之が自作の詞に曲を公募したことがきっかけだった。九州出身の山崎ハコは色めき立ったそうだ。ただ応募資格はアマチュアのみのため参加はできず、後日五木に曲を聴いてもらったところ絶賛され、レコーディングにこぎつけた。そんなエピソードが回り回って、1981年版テーマ曲となったらしい。

 遠賀川 土手の向こうにボタ山の
 三つ並んで 見えとらす
 信ちゃん 信介しゃん
 うちは あんたに逢いとうて
 カラス峠ば 越えて来た
 そやけん 逢うてくれんね 信介しゃん
 すぐに 田川に 帰るけん
 織江も 大人に なりました

寂しさがこぼれて溢れそうな織江の人生の独白。ギター一本に、時に呟き時に呼びかけるような強く儚い歌声。山崎ハコに興味が湧いたのはここからだ。

すぐに図書館で LP レコードを借りてきた。タイトルは『人間まがい』。曲名がちょっと怖いなあ。「きょうだい心中」に「呪い」かあ。

一回聴き、もう一回聴いて歌詞カードを読み返し、そのまま図書館に返却に行った。怖くて怖くて震えた。ウブだったのね私(笑)。

その後山崎ハコを貪るように聴き出すのは、高校2年の夏からである。

カタリベ: 親王塚 リカ

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