父の遺志継ぐ 台風被害のキャンプ場 利用者からの便りで奮起

相模原市神之川キャンプ場

 台風19号で増水した川に流され、「神之川(かんのがわ)キャンプ場」(神奈川県相模原市緑区青根)の経営者、関戸基法(もとのり)さん(82)が亡くなった。爪痕は深く、キャンプ場再開のめどは立たないが、長女の高崎幸江さん(59)は基法さんを失った悲しみの中でも復旧を誓う。「父が愛し、命がけで守ろうとしたキャンプ場。父の遺志は、私が継ぎます」

 基法さんはキャンプ場の高台にある管理棟で寝起きしていた。「いつもそばにいたい」との思いからだった。

 連絡が途絶えたのは、風雨が収まりつつあった12日夜。夕方、「おじいちゃんっ子だった」という幸江さんの長女(34)が心配し、「危ないから外に出ないでね」と電話。「分かっているよ」との言葉を最後に消息を絶った。

 心配でたまらない。幸江さんは一夜明けた13日午前5時ごろ、まだ薄暗い中をキャンプ場に向かった。迂回(うかい)路が寸断され、車では近づけない。いくつもの土砂崩れ現場を徒歩で越えた。いつもは車で15分ほどだが、到着したのは4時間後。見慣れた風景は一変していた。

 土砂や流木が敷地を覆い尽くし、基法さん愛用のショベルカーが川で倒れていた。姿はなく、土砂をかき分けて父を呼ぶ。何度も何度も繰り返し叫び続けたが、返事はなかった。15日に下流の河原で遺体が見つかった。

 管理棟の防犯カメラには12日午後8時半ごろ、管理棟内に流れ込んだ泥を懸命にかき出す基法さんの姿が映っていた。「キャンプ場を守るために必死だったのでしょう。ショベルカーなしに運営はままならず、高台に移動させる途中で流されたのかもしれない」。幸江さんは父の思いを推し量る。

■思い出詰まった宝物 利用者からの便りで奮起

 キャンプ場は幸江さんが14歳だった1974年にオープンした。「ダンプカーの運転手だった父が『ここがいい』と見つけてきた場所に自ら小屋を建てただけ。当初は電気も電話もなかった」。9年前に亡くなった母と父が2人で作り上げ、幸江さんをはじめ弟の法雄さん(57)、芳夫さん(53)のきょうだい3人が支えてきた。キャンプ場は家族の歴史と思い出が詰まった宝物だ。

 利用者は年々増え、今ではテントサイト132区画、バンガロー37棟を構える人気キャンプ場になった。それでも基法さんは毎晩遅くまで働いた。口癖は「人の3倍働かないといけない」。率先して周囲に範を示し、有言実行の人だった。

 基法さんは青根地域振興協議会の会長として、「準限界集落」とされる青根地区の活性化に力を尽くしてきた。20日に市内で営まれた葬儀には多くの地域住民が訪れ、記帳した人だけで約千人に上った。

 基法さんが亡くなって2週間余り。キャンプ場内の被害は甚大だ。周辺道路も寸断が続き、復旧の見通しは立っていない。一方、多くの利用者から再開を望む声が電話で寄せられる。

 「やめないでほしい。ぱぱとままと またとまりたい」。幼い子どもから届いた便りは、優しくほほ笑む基法さんの遺影の側に添えられている。

 幸江さんが幼い頃に母が植えた桜の苗木は大きく成長し、春になると満開の花が咲き誇った。その大木も濁流になぎ倒された。「毎年楽しみに足を運んでくれる利用者もいた」と目を潤ませる幸江さんはしかし、前を向く。思い出すのは、朝から晩まで誰よりも長く働き続けた父の後ろ姿だ。

 「悲しんでばかりでは父に怒られそう。『落ち込んでいるんじゃない。働け、働け』という言葉が聞こえてきそうで。父が愛したキャンプ場を今度はきょうだい3人で受け継いでいきたい」

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