崩壊というこの国の宿命 幸田文の「崩れ」に学ぶ 大災害の続く今こそ

By 江刺昭子

「崩れ」の現場行脚を始めた1976年撮影の幸田文。和服を慣れないズボンに着替えて出かけた

 地震、台風、大雨の被害があいつぐこの頃、にわかにハザードマップを見直したり、地域の防災訓練に参加したりしている。

 それにつけて思い起こされるのは、人としての身仕舞いのありようをきりりとした文章で描いた作家の幸田文である。父・幸田露伴に仕込まれた生活者としての知恵の数かずを惜しげもなくつづった台所や着物にまつわるエッセーは、今では貴重な時代の証言になっている。86歳で亡くなったのは1990年10月31日、昭和の終焉の翌年だった。

 没後出版された『崩れ』には驚いた。日本全国の「崩れ」を見るために山の奥の奥まで分け入って書いたルポルタージュで、東京っ子のイメージをくつがえされた。実際に各地を歩いて目で確かめ、肌で感じた崩れの実態を『婦人之友』に連載したのは1976年から77年にかけて。

 日本列島改造論がもてはやされ、高度経済成長に酔った時期である。全国で山を削り、谷を埋め、川筋を変えて、東京に例をとると、縦横に流れていた川にふたをして暗渠(あんきょ)とし、その上に終夜、明かりがともる不夜城を現出させた。

 台所の達人であった彼女は、その肌感覚で自然への畏怖を忘れた現代人のふるまいに危機を感じたのではないだろうか。台所は長らく女の居場所とされてきたが、バカにしてはいけない。台所はもっとも扱いのむずかしい火と水を使う場所である。ひとつ間違えればおおごとになる。

 幸田文は76年、古木を探し歩く旅で静岡県安倍峠に行った折、誘われて安倍川(あべかわ)支流の大谷川(おおやがわ)をさかのぼり、大谷崩れにドライブした。車から降りて、あたりをぐるっと見わたして、はっとする。

 「巨大な崩壊が、正面の山嶺から麓へかけてずっとなだれひろがっていた」

 それが「崩れ」との出会いだった。崩壊が押し出した沢を下りながら、同行の人に尋ねて、「機嫌のとりにくい川、荒れる性質の川、地質がひどく複雑に揉めている山」が山地の崩壊、崩れになると知る。大きな崩壊は大谷崩れだけではないこともわかり、「崩壊というこの国の背負っている宿命を語る感動を、見て、聞いて、人に伝えること」を決意する。

 そこからの行動力が尋常ではない。すでに72歳。着慣れた和服を脱いで、ズボンとブラウスの締め付けに悲鳴をあげながら、旅に次ぐ旅である。屈強な男でもたじろぐような場所へ行く。娘の心配をよそに、ときには案内人に負ぶわれてでも「崩れ」にあう。まるで異形のものたちに恋をしたように。

 富山県の鳶山(とんびやま)崩れ、富士山の大沢崩れ、日光男体山の薙(なぎ)と呼ばれる崩れ、長野県の稗田山(ひえだやま)崩れへと次々に赴く。崩壊と暴れ川の現場である。足は火山噴火の鹿児島県桜島にも。北海道の有珠山には77年の大噴火の2カ月後に訪れた。大谷の崩れには一度ならず、春夏秋冬、姿を変えるたびに足を運んでいる。

昨年4月、降雨のない状態で山崩れが起きた大分県中津市耶馬渓町の現場

 わたしたちが命を預けている大地は、いつも穏やかとは限らず、いつ牙をむくかわからない。常に備えを怠ってはいけない。読み返してみて、作家が伝えたかったことはそのことだったと思う。

 東桜島の小学校の庭にある1914年の「爆発記念碑」の碑文を紹介しながら「住民ハ理論二信頼セズ異変ヲ認知スル時ハ未然ニ避難ノ用意尤モ肝要」の箇所に傍点を振っている。爆発の頃よりは学問科学は格段に進歩しているが、異常を感じたら、まずもって避難するのが大事だというところを強調する。

 そして「動物すべてに天が授けてくれている筈の、勘というか感というかは、各自おろそかにしてはなるまい」と述べる。

 彼女がそう書いてからさらに学問科学は進歩したが、わたしたちは「想定外」の自然災害にさいなまれている。「地球温暖化」も「エコロジー」も言われなかった時代に、自身の五感を信じて生きてきた人ならではの炯眼(けいがん)は、現在をも見通していたかのようだ。

 地質や山の専門家が書くものと、ひと味もふた味も違う滋味があるのは、旅を繰り返しながら、作家が自らの老いとも向き合っていること。

 「先年来老いてきて、なんだか知らないが、どこやらこわれはじめたのだろうか。あちこち心の楔が抜け落ちたような工合で、締りがきかなくなった」「なぜこんな年齢になってから、こういう体力のいることへ心惹かれたのか、因果というほかない」と書きながら、残りのエネルギーを巨大な自然に向け、崩壊から生まれた川を「なにかは知らずいたましい」「いとおしい」と擬人化して、心を寄せている。

 幸田家は露伴に始まって、文、娘の青木玉、さらにその娘の奈緒へと続く、もの書く人の家である。4代目の奈緒に『動くとき、動くもの』(2002年)という本があり、四半世紀前に祖母がたどった崩れの現場を訪れている。かつてはなかった砂防施設ができている場所もあれば、崩れたままの現場もある。岩だらけの谷をおそるおそる歩きながら、祖母を思う文章がみずみずしい。(女性史研究者・江刺昭子)

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