戦時中墜落 「五竜号」秘話に灯 案内板再整備や法要など 諫早・高来町有志が計画

 75年前の冬、諫早市高来町古場の五家原岳中腹に軍民共用航空機「五竜号」が墜落した。奥深い山中に残る慰霊碑を知る人は歳月とともに減っていたが、同町の住民有志が今夏、その記憶をとどめようと動きだした。聞き取り調査や案内板の再整備、2021年の77回忌法要を計画している。

「五竜号」慰霊碑に手を合わせる3人=諫早市高来町古場

 五家原岳頂上に向かう県道途中から同町方面に延びる多良岳グリーンロード沿い。「五竜号碑」と書かれた木製の案内板が立つ。
 16日朝、同町の旧青年団OBでつくる「あけぼの会」の中溝忠さん(75)、前田俊さん(74)、嘉村徹さん(70)は、巻き尺を手に歩きだした。案内板と慰霊碑との間の距離を測るためだ。草が足元に絡み付くでこぼこ道。「五竜号の碑」と書かれた板が見えた。薄暗い樹木の合間を進むと、斜面下のわずかなスペースに慰霊碑があった。
 建立の趣旨が側面に刻まれていた。「搭乗飛行機墜落により 陸軍司政長官陸軍少将森本義一殿他十一名 此の地に散華さる」(以下略)。
 「五竜号」は、当時の大日本航空に所属し、旧陸軍が借り上げていた。台湾から福岡の飛行場に向かう途中の1944年2月12日に墜落。森本義一司政長官ら軍人7人と乗員5人の12人全員が死亡した。
 慰霊碑は68年9月、地元の深海地区山林財産管理組合(勝良重友組合長)が建立。50回忌法要を報じる記事(93年2月13日付)を通して、この頃まで供養されていたが分かる。
 「こんな山奥にあるなんて気付かない。忘れてはいけない戦争の歴史なのに」。中溝さんら3人は転がっていた線香台のかけらを拾い集め、線香をたき、手を合わせた。より分かりやすい場所に碑との距離を示した案内板を設置した。

「五竜号」墜落後の状況を語る山口さん=諫早市高来町

 その後、3人は同町古場に住む山口隆実さん(89)を訪ねた。墜落場所から南東にある小さな集落。当時15歳だった山口さんは青年クラブ(現在は公民館)に遺体が安置された様子を見た。「天気が悪くて近くの山に飛行機が墜落したと聞いた。死人が畳の部屋に寝かされていた。いつだれが連れてきて、その後どうなったのか分からない」。それから75年、集落で当時を知るのは山口さんだけだ。
 山口さん宅から約2キロの山奥には44年11月、米軍のB29戦闘機と交戦、墜落した旧海軍の坂本幹彦少佐の慰霊碑があり、今でも市民の手で守られている。「五竜号といっても知らない人が多い。手掛かりを知る人がいたら、情報を寄せてほしい」。中溝さんは消えかかっていた戦争秘話に灯をともし、後世につなげる。

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