【ラグビーW杯】「世界のプロ実感」 相模台工高ラグビー指揮した松沢さん

「W杯が普及につながれば良いよね」と話す松沢さん(本人提供)

 ラグビーのワールドカップ(W杯)は2日に日産スタジアムでイングランド-南アフリカの決勝を行い、1カ月半にわたる戦いに幕を下ろす。神奈川の高校ラグビーの礎を築いた松沢友久さん(82)=相模原市ラグビー協会名誉会長=は、「球際の速さ、当たりの強さ、全てで『これが世界のプロだ』と実感した。こんなに盛り上がるとは思ってもいなかった」と大会の成功を手放しで喜ぶ。

 松沢さんは相模台工高(現神奈川総産高)を71年から23年間指導し、毎年冬に東大阪市花園ラグビー場(大阪府)で行われる全国大会に14度出場した名伯楽として知られる。94年1月には県勢で39年ぶりの全国制覇の快挙を成し遂げ、勇退後の翌年は公立校で戦後初の2連覇を達成した。

 圧倒的な強さに加え、ジャージーとパンツが黒一色だったことから、1日の3位決定戦に出場したニュージーランド代表の愛称にちなみ「神奈川のオールブラックス」として恐れられた。全盛期の90年代は県内の高校ラグビー界も隆盛を極め、全国大会県予選には現在の3倍近い約100校が出場。同高の花園初優勝当時は、小田急線相模大野駅前で優勝パレードが行われたほどだ。

 2003年のW杯オーストラリア大会には、花園連覇を経験した教え子の難波英樹さん(現トヨタ自動車コーチ)が出場するなど、多数の日本代表選手も輩出。ただ、長く世界で勝てなかった時代を知るだけに、今回の8強入りに「いい勝負をした結果。一つの目標へ向かって共に戦う素晴らしさが伝わったはず」と実感を込める。

 決勝に進んだ南アフリカは、ハイボールを蹴り上げFWで圧力をかけて攻めるのが得意。かつて同高が武器にした「アップアンドアンダー戦法」に似ているといい「ボールゲームだけどやっぱりフィジカルが大事で、その差が勝敗を分ける。そして必ずサイドカーがいるようにボールを持つ選手のそばに仲間がいる。瞬く間にパスがつながるね」と興奮を隠せない。

 指導現場の第一線を離れて四半世紀。競技人口の減少が続いており、松沢さんは「子供たちがラグビーに興味を持ち、始めたいと思う良いタイミングになった。その原石たちの個性をいかに見いだせるか。情熱を持って選手を発掘し、チームをつくりあげてほしい」と現役の指導者たちにエールを送った。

 ◆相模台工高ラグビー部 1965年4月に創部。全国大会には73年度の初出場から計16度出場し、日本一と準優勝を2度ずつ果たした。90年代後半以降は低迷し、2004年11月7日の全国大会県予選準々決勝が最後の公式戦となった。相模原工技高と再編統合して05年春に神奈川総産高として生まれ変わった。

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