第十九回 「ワイルドに生き抜いた足軽たちの戦の実態に迫る」

ほいよ。先月、まさかの地上波クイズ番組『クイズ!オンリー1』の戦国武将パートに出演した岡峰さん。きっとこのコラムとか、前にやってた城コラムがテレビ関係の方の目に留まったんでしょうな(完全にプロモーションとは関係ないオファーだったのです)。ありがたや〜!

さて、そんなクイズ番組出演によって復習勉強していた戦国時代、またハマりましたなぁ。やっぱり調べたり、想像することは非常に楽しい時間です。引き続き戦国ブームなのであります。てことで今回の『歴史のふし穴』としては、ふし穴どころか歴史に名前も残さなかった足軽の陣中での生活を探ってみましょう。

足軽って、基本的には戦時以外は農民として暮らしてます。いざ戦じゃ〜!となるとその周辺を治めてる領主にかき集められて戦に向かいます。そん時持ってくのが上半身をざっくり守る粗末な鎧と腰刀、各々の家で作った非常食くらいなんで足軽って言われたんだと。他の言い方では雑兵(ぞうひょう)ですと。人権もクソもない雑な言い方!

普通の戦だと足軽には配給があります。玄米的なやつを1日5合。戦国時代までは1日2食なんで朝2合5勺、夕2合5勺ですな。基本的に朝まとめて炊いて、がつっと食べて残りは握り飯にしたりして夕飯にします。戦時なんで昼に小腹が空いたらその握り飯をつまみます。この間食が習慣化して江戸時代からは3食になったとか。この玄米を1回につき3、4日分小出しに配給したと。これは5日分以上支給するとズル賢い足軽が麹ダネを持ち込んで酒にしちまうからだそうです。

あと味噌も支給されます。これは大豆ではなく糠味噌だったそうな。味噌は高カロリーで保存がきいて、さらに山菜や野草の味付けもできるんで重宝したと。で、味噌を乾燥させて板状や団子状にして携帯してたそうです。

塩も重要ですな。現在のような顆粒ではなく、焼き固めた固形の塩を配給したみたいです。梅干しもめっちゃ重宝されたそうな。疲労回復、塩分補給や食べ物が傷みにくくする効果はでかいっすな。ほんでも水が手に入りにくい戦況の時とかは梅干しを食べると塩分で喉が渇くから、眺めるだけにして出てくる唾を飲み込んで渇きを潤せ!って強引なこともやってたみたいす。

敵地に入ると川の水や井戸の水を飲むのは警戒していたみたいです。敵が逃げる時に人糞とかを投げ込んで大腸菌まみれにしている可能性が高いからだと。どうしても必要な時は泥水を布で漉して飲むワイルドなやつか、当時は今ほど大気汚染がないので雨水を溜めて飲むほうが安全だったようです。元祖ワイルドキャンパーたちですね。

もちろん状況によってはより過酷になるわけで、たとえば籠城戦になれば軍馬を食べ、畳や壁に仕込んである芋茎や松を食べ、最終的には戦死者を食べる壮絶な戦いもよくありました。

戦で怪我をした場合も当時はかなりワイルドで、矢が刺さったりするとペンチみたいなやつで無理矢理引き抜いたり、傷口には人糞を塗り込むといい!なんて破傷風待ったなしなやつもあったり。傷が内臓に達して、腹の中に血が溜まった感じになったら馬の糞を煮て飲めばゲロと一緒に溜まった血も抜けて効果的!なんて迷信的でしかない荒療治もやってたとか。馬を高貴なものとして崇めてる文化もあったから最後は藁にもすがる思いだったのかも。

軽い傷はさっきも出てた梅干しを塗って殺菌、消毒もしてたみたいです。そこだけは意外と冷静で理にかなってるやん。

あと、現代にも通じるのが温泉。日本各地に大名たちが開発したり、お気に入りだった隠し湯が存在しますよね。やはり戦の傷を癒すには温泉の効果はでかかったみたいです。

足軽たち、戦に行ってもいいことなんもないじゃん!て思われるでしょうが、実際いいことはありません。値千金の大将首でも取れれば褒美や出世もありましょうが、なかなかそうもいきません。唯一褒美と言うか、黙認されていたのが勝ち戦の時の「乱取り」でしょうか。

これは単純に勝ち戦の時に敵の領地で物盗りしたり、人を拐って人身売買したり、強姦したりといった狼藉行為です。兵農分離がしっかりしていない時代だからこそ黙認されていたカルチャーですが、これを目的に頑張る足軽も多かったことでしょう。足軽ライフ、ワイルドすぎるわ〜。

まぁ、こんな感じで逞しく生き抜いてきた我らが祖先、足軽たち。下々の生活を想像するのも戦国ロマンの楽しさでありましょうか。いや、ロマンはないか。雑兵の気持ちになって現代戦国の乱世を生き抜きましょう!

挿絵:西のぼる 協力:新潮社

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