「胃瘻だけは、したくない」

80代、要介護5の女性。
脳卒中を起こし四肢の不全麻痺、言葉を発することはできない。肺炎を繰り返し、いまは高齢者施設で経鼻経管栄養チューブとともに生きている。自己抜去のリスクが高いとされ、手には常時ミトンが。そして月に一度の経鼻チューブ交換の際には、恐れと怒りを表出し、激しく頭を左右に振って拒絶する。

経管栄養するなら、なぜ胃瘻にしないのか?
娘さんが胃瘻だけはしたくないと言っているそうです、施設の看護師さんが、そう教えてくれた。 

せめて診療予定日の前日の夜くらいはミトンを外してあげたら?
そう提案してみたところ、案の定、彼女は経鼻チューブを自己抜去した。

 

彼女の部屋を訪問した。
とてもすっきりした表情でこちらを見る。
ベッドサイドには娘さんがいた。

「胃瘻はどうしてもやりたくない、とお聞きしています。しかし、経鼻経管栄養は、直接胃に栄養を送り込むという意味では、胃瘻と全く同じです。
経管栄養はご本人にとって、決して快適な処置ではありません。この先、何年もこの生活が続く可能性があることを考えると、胃瘻のほうがよいのではないかと思います」

 

そうお話しすると、娘さんが、ここに至る経緯を教えてくれた。

 

本人は、何人もの家族・親族が胃瘻になり、必ずしも穏やかでない人生の最終段階を送ってきたのを見ている。だから、胃瘻だけはしたくない、という意思表示をし続けてきた。
だから家族としては経鼻経管栄養を選択したのだという。

 

おそらく、彼女の真の意図は、胃瘻をしたくない、ということではなく、経管栄養をしたくない、ということだったのではないか。
回復の可能性があり、それを本人が望むなら、積極的に栄養治療をしながら、リハビリに取り組むという選択肢はもちろん悪くない。

また、機能面での回復の可能性が低くても、彼女が自分の人生を生きるために栄養治療を選択するのもいいと思う。
そのいずれでもない場合、この栄養治療という選択には必ずしも本人にとっては幸せなものではないかもしれない。しかし、中止をすればそこから先には死が待つ。家族も苦悩する。

 

経管栄養を再開するために、経鼻チューブを入れなければならない。
彼女は今日も怒りの表情ともに、わずかに動く顔を最大限に左右に振って、一生懸命処置に抵抗した。

その様子を目の当たりにした娘さんは、胃瘻にすることを考えたいと口にした。
その言葉を聞いた彼女は、不安な表情で娘さんを見つめていた。

 

この二人にとっての最適解はまだ僕にはわからない。しかし、経管栄養を続けるなら、その中で(胃瘻へのコンバージョンを含めて)彼女のQOLを最大化するための努力をしたいと思うし、そうでないなら、二人が納得してそれを選択できる状況を作るしかない。

 

胃瘻は絶対にしない、という彼女の強い意志と自己決定は、その真意が伝わらなかった、という意味では成功したとは言えないのかもしれない。
もし、医療者が彼女の真意を組むことができていたなら、経鼻経管栄養が選択肢にあがることはなかったかもしれない。
患者単独でのアドバイスディレクティブの危うさ、対話を重ねていくことの大切さを感じた。

佐々木 淳

医療法人社団 悠翔会 理事長・診療部長 1998年筑波大学卒業後、三井記念病院に勤務。2003年東京大学大学院医学系研究科博士課程入学。東京大学医学部附属病院消化器内科、医療法人社団 哲仁会 井口病院 副院長、金町中央透析センター長等を経て、2006年MRCビルクリニックを設立。2008年東京大学大学院医学系研究科博士課程を中退、医療法人社団 悠翔会 理事長に就任し、24時間対応の在宅総合診療を展開している。

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