元寇犠牲者しのび「鳴弦の儀」 対馬・小茂田浜神社

蒙古軍が来襲した海に向かい、弓の弦を鳴らした「鳴弦の儀」=対馬市厳原町、小茂田浜

 鎌倉時代の元寇(げんこう)で討ち死にした対馬の初代島主、宗資国(そうすけくに)らを祭る長崎県対馬市厳原町の小茂田浜神社(舎利倉政司宮司)で10日、大祭があり、甲冑(かっちゅう)を身に着けた氏子らが犠牲者をしのんだ。
 資国らが戦ったのは、蒙古(もうこ)軍が1274年10月に2万5千人の軍勢と900隻の大船団を引き連れて小茂田浜に来襲した「文永の役」。資国は島民を守るためわずか80余騎で迎え撃ったが、全滅したとされる。
 大祭は同神社の拝殿で命婦(みょうぶ)の舞(国選択無形民俗文化財)などを奉納、その後、武者姿や白装束の氏子らが行列をつくり、近くの海岸の御旅所までみこしを担いだ。御旅所では、神職が蒙古軍が攻めてきた西の海に向かって弓矢を構え、弦を鳴らす「鳴弦(めいげん)の儀」があり、武者姿の氏子らが「エイ、エイ、オー」と勝ちどきを上げた。地元の地域おこしグループ「佐須響心会」も、合戦の様子を再現した「つしま蒙古太鼓」を演奏した。
 参列した宗家の子孫、宗中正さん(59)は「小茂田での歴史がこうして受け継がれているのはありがたいことです」と話した。

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