石川ひとみ「まちぶせ」松任谷由実の愛すべきストーカーソング? 1981年 4月21日 石川ひとみのシングル「まちぶせ」がリリースされた日

松任谷由実が作詞作曲、石川ひとみ「まちぶせ」はストーカーソング?

時は1981年。ある日テレビの中で石川ひとみが「まちぶせ」を歌っている時、一緒に見ていた母親が「この人がプリンプリンなんよ」とあっけらかんとした口調で教えてくれた。

もちろん NHK人形劇『プリンプリン物語』の声のことであるが、幼少の僕は衝撃を受けた。それ以来、僕は石川ひとみをプリンプリンと同一視してしか見れなくなった。大人になってもそうである。そして「まちぶせ」は、プリンプリンと一緒にことあるごとに思い出す心の一曲になった。

あれから38年が過ぎ、いまや「まちぶせ」は、荒井由実(現・松任谷由実)の才気ほとばしる歌詞ゆえに “ストーカーソング” なんて呼ばれ方をしている。これにはプリンプリン・ファンとしてはいささかガッカリで、「ストーカーなんていうレッテルを貼るのはお止めいただきたい」と思ってきた。

それでは、その歌詞をいま一度検証してみる。冒頭から映画の始まりみたいに映像的な歌詞だ。

「まちぶせ」その歌詞の意味を徹底検証!

 夕暮れの街角 のぞいた喫茶店
 微笑見つめ合う 見覚えある二人

ふむ。これは一見、「下校中に偶然にも通りがかった喫茶店で恋する彼を見つけちゃったわ。マジ、ショック!」といった内容に見えるが、大人になった僕がいま読んでみるに、喫茶店に入るまでの下校中の彼を、刑事みたいに背後からこっそりとつけきた雰囲気の方が強い。しっかり覗いているわけだし。イントロに多用される不安定な7thコードがいみじくもそれを暗示しているように聴こえる。歌に入る前から、すでに主人公はストーカー行為に出ている PV映像が頭に浮かんでくる。

と、はからずもストーカー論を肯定してしまったが、いやいや!そもそも三木聖子が歌った初出の76年にも、その後石川ひとみがカバーした81年当時にも、ストーカーなんて用語は日本社会になかったので、ユーミンがストーカーを描こうと狙ったのではない!僕は、これはれっきとした “恋に揺れる尊い心のあり方” であると言いたいのだ。

 あの娘(こ)が急になぜか
 きれいになったのは
 あなたとこんなふうに
 会ってるからなのね

次には、ライバルの “あの娘” が描写される。が、“私” はあせりも見せず落ち着き払っている。むしろ「ははぁん、なるほどねぇ」なんて納得している探偵みたいな気配も感じられる。常時、私の手のひらの上にあるとでも言いたげな、上から目線である。一言でいうなら、イラっとさせる女かもしれない。このイラっと上から目線を経て、「まちぶせ」はサビに向かう。

 好きだったのよ あなた
 胸の奥でずっと
 もうすぐ私きっと
 あなたを振り向かせる

ここで一転、純情で一途なフレーズが、けな気なハイトーンで歌われる。気高きプライドと、かよわき乙女心!いいバランスですわな、独りよがりの。この行ったり来たりの振れ幅がたまらん、と感じる男性は少なくないだろう。

その可愛げな乙女の叫びのあとに、息をホッとつき、取り乱した自分を恥じるように再びツンとして、ミステリアスな余韻を残したまま1番が終わる。秀逸である。

 気のないそぶりして
 仲間に加わった
 テーブルをはさんで
 あなたを熱く見た

そして2番。天使の土足でふんわり踏み込んだ、サラリとエグい松任谷由

 あの娘(こ)が振られたと
 うわさに聞いたけど
 わたしは自分から
 言い寄ったりしない
 別の人がくれた
 ラブレターみせたり
 偶然をよそおい
 帰り道を待つわ

もういい加減率直に言いますが、これはやっぱりストーカーソングですね……(笑)。そういえば偶然をよそおい帰り道を待つなんてことは、いま初めて白状しますが、男の僕でも高校時代に経験がありました。

それにしても、さすがユーミン。生を歌うにしろ、死を歌うにしろ、天使の土足でふんわりと人の行動心理の際(きわ)まで踏み込んで、サラリとエグい歌詞を書く。そして映像が自然に浮かんでくるところがまたスゴい。「まちぶせ」の歌詞を読んでいると、パッと見はおとなしげに見えて、じつはとんでもない企みを抱えている、国立文系特進クラスの女子を僕は勝手に思い浮かべてしまう。

誰だって小さなストーカー、大人になって聴く「まちぶせ」の効用は?

さて、曲は最後に、繰り返しの大サビからエンディングのアウトロへ向かう。このアウトロ、イントロとまったく同じかと思っていたら、ちょっとだけメロディとコードに変化がある。それは上昇気流に乗るフレーズではあるけれども、手放された風船が空に昇っていくようでもあり、どこか切なげで、ハッピーエンドとは言い切れない響きだ。

たぶんこの女の子の恋は、はかない片思いのまま終わるのだろう。思惑どおり打ち明けられる場面を夢見ながら、しかしどのまちぶせ作戦も功を奏さず、ついに彼が振り向くことはなかったのだ。そもそも「♪ もうすぐ私きっと」なんて言ってる時点で、この恋が実らないことを主人公自身が予感しているふしがある。

大人になって聴く「まちぶせ」の効用は、そんな雑多な妄想を強烈に掻き立ててくれるところにある。誰にでもある在りし日の片思いの日々、僕だって小さなストーカーだったのかもしれない。もしやあなたにもそんな頃があったのでは!? そんなふうに、求められるべき共感と、与えられるべき癒しが、この愛すべき聖なるストーカーソングにはたくさん詰まっている。

カタリベ: 吉井 草千里

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