川原は今 石木ダム用地明け渡し期限・下 <団欒> ありふれた営みが力に

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3世代7人家族で食卓を囲む炭谷家=川棚町

 一つ屋根の下で、3世代7人が、温かな料理が並ぶこたつ机を囲む。県と佐世保市が東彼川棚町に計画する石木ダムの水没予定地、川原(こうばる)地区に暮らす炭谷家の食卓は、いつもにぎやかだ。学校や保育園での出来事を楽しげに話す3人の孫たちに、家長の猛(69)が目を細める。長男夫婦の潤一(38)と広美(34)は、はしゃぐわが子を時折たしなめながら、箸を動かす。
 これまで毎日のように繰り返された夕げのひとこま。土地収用法に基づく手続きで、7人が暮らす土地の権利は9月に消滅し、今月18日には明け渡し期限が迫るが、「地域も、生活も変わらず残っている。行政代執行で家が壊されるなんて、想像できない」と潤一は話す。
 憤りはある。家に伝わる過去帳には1753(宝暦3)年から先祖代々の名が記されている。260年以上、連綿と守りつないできた土地。それが、県収用委員会から「一方的に」裁決書が送り付けられ、いとも簡単に奪われてしまった。大地を駆け、川で泳ぎ、生きものと触れるのが大好きな子どもたちに、今の状況を伝えるのは親として苦しい。
 土地の権利を失う最後の日、5年ぶりに実現した中村法道知事との県庁での面会には、子どもたちも参加した。小学3年生の長女、沙桜(さお)(8)は前日、一人悩みながら知事宛ての手紙を書いていた。「お家がなくなったらいやです。こうばるのみんなや動物もいなくなったらいやです」。素直な気持ちを懸命につづり、大きな声で読む練習もした。
 面会では途中で泣きだしてしまい、ほとんど言葉にならなかったが、最後まで読み上げた。震える娘の肩を抱きながら、潤一は「子どもなりに今の生活を大切に思っている」と感じた。
 広美は、面会の場に子どもたちを連れて行くのを最後まで悩んだ。「子どもを利用している」と誤った印象を持たれないか心配だったからだ。泣きながら手紙を読む娘の姿は大きく報道され、「大丈夫?」と気遣う人も、「何で子どもを」と眉をひそめる人もいた。今は後悔していない。ただ、娘の必死の訴えにも、終始うつむき、目を合わせようともしなかった知事の態度が悔しかった。
 「向き合いたくないんじゃないか」と潤一は突き放す。明け渡し期限が過ぎても、にぎやかな家族の食卓は変わらず続くだろう。ありふれた日々の営みこそが、どんなに大きな権力にも負けない力になると思っている。=文中敬称略=

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