告訴もみ消し、埼玉県警の「トラウマ」 法整備や体制強化も事件絶えず 桶川ストーカー殺人20年(中)

2003年5月、集会で埼玉県警の捜査怠慢を訴える猪野京子さんと憲一さん(左)=東京都千代田区の上智大

 「警察組織の信用を地に落とした」。2000年9月の浦和地裁(現さいたま地裁)判決は、埼玉県警上尾署の元署員3人をこう断罪した。3人はストーカー被害に苦しむ猪野詩織さん=当時(21)=のSOSを真剣に受け止めることなく、告訴のもみ消しにまで手を染めた。当時を知る幹部が「埼玉県警のトラウマ」と語る一連の事件を機に、法整備は進み警察の体制も強化されたが、 遺族が求めるのは警察官1人1人の意識改革だ。(共同通信=沢田和樹)

 ▽悪いのは組織

 「このままだと何をされるか分かりません」。詩織さんは刺殺される3カ月前の1999年7月、母の京子さん(69)と上尾署で訴えた。元交際相手らによる嫌がらせは、自宅周辺に大量の中傷ビラを貼る事態にエスカレートしていた。

 対応した刑事第2課長=当時(48)=は告訴の受理を渋った。「嫁入り前だし、裁判になると恥ずかしいことも言わないといけませんよ」「大学の試験が終わってからでいいでしょ」。男女のトラブルは和解することも多く、捜査が無駄になるかもしれない。背景にはそんな考えがあった。

 当時を知る県警幹部は取材に「身内のトラブルは基本的に当事者同士の問題という認識だった。『民事不介入』を盾に断るのが腕の良い刑事とされたのは確かだ」と振り返る。

 7月末、課長は告訴を受理したが、捜査の意思はなかった。告訴は被害届と違って捜査義務が生じ、未処理の告訴事件が増えれば、署の成績が悪く見える。8月末、課長がようやく上司の刑事生活安全次長に告訴受理を報告すると「被害届で捜査すれば良かったんじゃないか」と叱責された。この事実が調書改ざんにつながっていく。

 捜査を主に担ったのは、地裁判決で「最も誠実に取り組んだ」とされた事件当時39歳の係員だった。係員は同年9月に課長からの指示を受け、詩織さんに「書類が必要になった」と嘘をついて被害届を取り直し、さらに調書の「告訴」を「届出」に書き換えた。課長に捜査態勢の強化を進言しても聞き入れてもらえず、半ば諦めるような形での改ざんだった。

 2課には経験豊富な係長=当時(54)=もいたが、仕事への意欲を失い、部下に仕事を押しつけるようになっていた。地裁判決は課長、係長が係員に助言をせず、2課を機能不全に陥らせたと指摘している。3人は殺人事件発生後、捜査ミスを隠すため、別の書類改ざんにも手を染めた。

 「警察という階級社会で上司に指示され、はね返せる人はいなかった。悪いのは組織そのものだ」。幹部は苦々しい表情で語る。

2000年4月、上尾署幹部らの処分を発表する埼玉県警の西村浩司本部長=県警本部

 2000年4月、3人は懲戒免職となり、当時の県警本部長や刑事生活安全次長ら9人も処分を受けた。3人は同年9月に虚偽有印公文書作成などの罪で執行猶予付きの有罪判決を受けた。

 詩織さんの両親は同年12月、捜査を怠らなければ殺害事件は起きなかったとして県に賠償を求める訴訟を起こした。さいたま地裁は03年2月、警察の怠慢を認定し、550万円の賠償を県に命じたが、殺害との因果関係は否定。その後、最高裁で判決が確定した。

 今年9月、元上尾署員3人の自宅に取材依頼の手紙を出したが、返事はなかった。自宅を訪ねると、当時の課長は「もう忘れたよ。話すことはない」と言葉少なだった。係員も「取材には応じない」と口を閉ざした。係長の自宅では、インターホン越しに男性が「もう関係ない」と対応を拒んだ。

 ▽「被害者に希望を」

 事件をきっかけに00年5月、ストーカー規制法が成立した。詩織さんが生きていれば22歳になる誕生日だった。県警には今、ストーカーの専門部署ができ、対応は様変わりしている。捜査関係者は「大きく構えて小さく収める姿勢に変わった。今は認知すれば、夫婦げんかでも動く」と語る一方で「仕事は増えるばかり。警察官の自己犠牲なしには成り立たない」とこぼす。

 関係者によると、事件がメディアで取り上げられるたび、上尾署には苦情電話が殺到するのだという。ただ、10~20代の警察官には身に覚えのない話で、対応に困惑することも多い。県警によると、研修で警察の反省点を伝えているが、関係者は「正直ピンと来ていない。『自分はそんなことはしない』と思っている」と語る。

 それだけストーカー事件への意識が高まったとも言えるが、ここ10年ほどの間にも、警察にストーカー被害を相談していた女性や家族が殺害される事件は全国で相次いだ。

 そのたびに警察の体制は強化されたが、詩織さんの父、憲一さん(69)は「現場の警察官が被害者の味方になってくれないと事件は防げない」と言い切る。警察庁によると、18年のストーカー被害の相談件数は2万1556件に上った。「『男女の痴話げんか』『被害者にも非がある』と矮小化してはいけない。ストーカーは犯罪だ。警察だけでなく行政、支援団体も含めて助け合い、安心の輪をつくる必要がある」とも訴えた。

警察官を前に講演する猪野詩織さんの父、憲一さん=2017年9月、京都市

 17年9月、憲一さんは京都府警の依頼で約200人の警察官らを前に初めて講演した。不信や憎悪は消えない。ただ、かつて法廷闘争で相対した警察から依頼が来たことに変化を感じたのも確かだった。一線で働く警察官への期待を込め、引き受けた。「小さな問題も大きな懐で受け止め、被害者に希望を与えてほしい」。埼玉県警からも依頼があれば、受けるつもりだ。(年齢は取材当時、続く)

【上】「娘は3度殺された」 教訓を忘れるな―遺族の訴えhttps://this.kiji.is/570167598138328161?c=39546741839462401

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