法王来崎を待つ<下> 寄り添う姿勢に親しみ ヨハネ・パウロ2世来日時の広報担当・水浦征男さん

ヨハネ・パウロ2世の来崎を振り返る水浦さん=長崎市本河内2丁目、聖コルベ記念館

 「国民にどう受け止められるか不安だった」。1981年にローマ法王として初めてヨハネ・パウロ2世が来日した時に、カトリック中央協議会(東京)の広報担当を務めた聖母の騎士修道院(長崎市)の司祭、水浦征男さん(78)が当時を振り返る。
 史上初の法王来日への関心は高かった。国内外の報道機関に発行された取材許可証は当初予想の200人分を大きく上回り、217社2790人分に上った。水浦さんは官公庁や広告代理店との事前調整をはじめ、長崎を含む訪問地での記者対応などに奔走した。
 ヨハネ・パウロ2世は訪問地で人々と交流し平和を訴え、そのニュースは連日、大きく報道された。「記者の質問にできる限り丁寧に対応するよう心掛けた。結果的に報道は好意的だった」。法王フランシスコについても「好意的に受け入れられることを祈っている」と広報OBの顔をのぞかせる。
 フランシスコが爆心地公園で発信する核兵器廃絶のメッセージに関心が集まる一方、カトリック関係者からは教会活動が活発化するよう願う声も聞かれる。国内の信者は約44万人で、国民の0.3%に過ぎない。歴史的にカトリックとつながりが強い本県は4.4%の約6万人と多いものの、人口減少や高齢化、宗教離れから減少傾向が続いている。
 五島の潜伏キリシタンの末裔(まつえい)でもあるが「親から子、子から孫へ、という伝え方では先細りする」と言う。「教会は人が来るのを待つのではなく、来る人を探しに行くべきだ」というのがフランシスコの考えだ。「今回の来日を機に教会がより活動に積極的になれば」と願う。
 フランシスコは、貧民救済で有名な中世の聖人「アッシジのフランシスコ」にちなんで名前を選んだ。聖人は水浦さんが所属するコンベンツアル聖フランシスコ修道会の創設者でもある。「弱い立場の人に寄り添う教皇(法王)の姿勢に親しみを感じている」。長崎の地で語る法王の言葉を楽しみにしている。

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